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高校3年生の駅伝。努力の意味を疑った日々。

1.駅伝と受験。どちらを取るか?
高校生の頃、私は陸上部の長距離に所属していました。長距離と言えば駅伝ですが、駅伝のシーズンは冬です。私は駅伝というスポーツが大好きで、精を出して練習に励んでいたのですが、悩ましいのは高校3年生時です。高校3年生の冬には受験が控えています。本格的に受験勉強が始める頃により一層部活励まなくてはなりません。

正直なところ、他の人からしてみれば辞めてしまえばいいと思うかもしれません。今の私なら間違いなく辞めると思います。

高校生の頃は今以上にとても繊細でした。何を考え、悩んでいたかと言うと、以下のようなことです。
・できるなら部活を続けたい。
・部活を辞めて、後輩や先生に嫌われたくない。
・部活を続けたことで受験に落ちたくない。
・中途半端に部活を引退すれば、喪失感から逆に受験への気力が失われるのではないか?
といったことで悩んでいました。

とにかく、頭の中をぐるぐると思考が駆け巡り、悩みに悩み、果ては陸上競技をすることに価値はあるのか?練習を頑張って得られる結果や喜びは釣り合ってないんじゃないか?もっと言えば、努力して得られる達成感とゲームをしたり、友達と遊んだりして、得られる楽しさや充実感の価値はそんなに変わりはないんじゃないか?だったらわざわざ努力なんてする必要ない?などと考えるようになりました。

「努力をして、達成感を得ること=ゲームとか友達と遊んで得られる快楽」なわけはないだろう。と言われるかもしれません。ですが、突き詰めて考えるとそうではないかもしれません。

なぜかと言うと、どちらが価値があるのか(努力して得られる達成感とゲームなどの比較的簡単に得られる快感を比較して)を証明できない。

私自身も中学生ぐらいまでは努力をして、目標を達成して、そこから充実感を得られることが至高だと思っていました。

しかし、当時競技の成績が思うように向上しなかったことも相まって、私が足場としていた主義や価値観が揺らぎはじめました。

本日はここまで、今年もあと3日、良いお年を!

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