わたし

【昔からの夢】
 教員は続かなかったが、学校外の組織で子どもの療育や保育に携わっている。「子どもと共に在る大人になる」という昔からの夢は、現実味を帯び、少しでも近づくことが出来ているのだろうかとふとした時に思い返す。どの職場へ行っても委縮してしまい、慣れるのに必死で、正直、療育や保育をしているという実感はなく、ただ指示に従い目の前のことをこなすことで精一杯だ。そんな自分が情けなく、早く関わり方の引き出しを増やしたいなと思っている。昔から理想だけは無駄に高く、実態が伴わず、理想とできない自分の現実のギャップに落ち込んでばかり。そしてあっさりと心が折れてしまう。でも今は負けたくない。

【療育が受けられないまま大人になった】
 とある放課後デイの支援員と療育について話していた時、私の心は段々と曇っていった。
 「癇癪を起せば周りが対応してくれると誤学習させないよう、例えそういった特性があったとしても絶対に反応しない。泣きすぎて過呼吸になったとしてもね。この世の中がもっと寛容ならいいけど、そうではないから。生涯、施設に囲って生活させます。なら話は違うけど、社会に出ていかなければならないから。」
 発達障害がありながらも、療育を受けないままに大人になって負の言動で周囲の気を引こうとすることのある自分を真っ向から否定されたような気持になりひどく落ち込んだ。間違った生き方しかできなくて、ごめんなさい。社会に馴染めなくて、ごめんなさい。

 【私の誤学習】
 学校で癇癪をおこし、教員の目を引こうとしていたことも、市販薬を過量服薬して救急車で運ばれて入院したことも、人を刃物で脅して自ら警察に連絡したことも、間違っていたと感じる全ての過去と一緒に生きていくほかない。ただ、私を見てほしかった。愛してほしかった。それだけなのに、どうしてこんなことになっちゃったのだろう。
 「なんでそんな風になったの?」
 と聞かれて振り返った時、高校時代家庭の悩みを教員に打ち明けた時、目の色が変わって、みんなが私のことを気にかけてくれるようになったからだと思った。今までは誰も見てくれなかった。辛いこと、話せば大人は私を見てくれるんだ。この感覚がどんどん間違った方向へと進み、自傷行為に発展した。

【だから、どう生きる】
 
よく、過去は変えられないが、今と未来は変えられる。といった言葉を見聞きする。そうだ。それだとすんなり納得できるほどの心に余裕はないが、私なりに少しづつ向き合っていく必要があるのだろう。履歴書に、子どもたちと共に成長できたらと思っております。と書いたが本当にその通りで、療育の提供を通して自分自身と向き合っていきたいと思う。


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