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『聴くことから始まるダンス』遊行編vol.2 即興ダンスフィールドワークLOG :

京都芸術大学舞台芸術研究センター舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点 2024年度 研究リサーチプロジェクト
「聴くことから始まるダンス」~耳を澄まして悲喜交々に巡る、高解像度なドタバタ[High-resolution Slapstick] 
研究代表 垣尾優(大阪市在住 ダンサー)のフィールドワークLOGです。
https://k-pac.org/openlab/12419/

これは、「聴く」「リアクション」をキーワードに、なぜか気になる場所や、なぜか気に入った場所を、記憶を思い出すように踊り巡る即興ダンスのフィールドワークです。また、道中、出会った人にもそんな場所を尋ね、それらを手がかりに、次へ辿るように歩き巡ります。
フィールドワーク同行者も募集しています。年齢性別ダンス経験不問。
問い合わせなど kakioproject@gmail.com


7.「お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ」

出典:『斜陽』 太宰治/著 青空文庫

階段をおりた後、大きな建物に引き寄せられ、行くように戻るようにそちらへしばらく歩いていたのだが、すぐにその場の雰囲気にながされてしまった。気分で道をきめ、フラフラ歩く。この辺りは昭和の中期頃建設と思われる背の低い住居がたくさん並んでいる。白、地面の砂利も囲われた壁も白い、更地が目に入る。ここでなんとなく踊りたくなったが、動物の目は自然に動くものを追う、手押し車のお婆さんとすれ違う間に、白い更地はいつの間にか通り過ぎていた。与党野党の選挙ポスター、古いフォントの文字が並ぶ古い看板、玄関前のチューリップ、アマリリス、キンギョソウ、マーガレット、イベリス、ルピナス、犬、狸、大黒、7人の小人、ミッキーマウスなど多様な植木と置き物が密集した住居や路地を抜けると、公園があった。急に出現した空間の爽やかさに一瞬息が漏れる。黒っぽい和服に黒いブーツの女性がブロックに腰掛け、大判の画集だろうか何かを凛とした姿で眺めている。ひとりになりたくてここによく来るとのこと。ひとりになりたいときは誰だってある。今、急に目の前で踊り出すのはなんだか邪魔するような気がして、私は去った。
次の日、再び戻って。彼女がいないのを確認して。踊った。

ダンスメモ
ダンスは痕跡も基本的には残さない。いや、痕跡そのものか。
ないのにある、あるのにない。そこに痺れる、憧れる。

8.「地域のバイオリージョン(生命的な繋がりを持つ地域)に”出会う”までは、そこに到達したように感じられなくなった。」

出典:『何もしない』 ジョニー・オデル/著 竹内要江/訳 早川書房

踊り終わるとスポーツウエアのササキさんがいた。傘を突き刺した自転車を傍に停車させ、ベンチに座り大判の地図だろうか紙面を眺めている。彼女は、仕事でこの辺をよく車で走り回るが、ガーッと前だけを向いて走るので踊るような場所は思い当たらないという、それでも、そういえば、あっちに可愛らしい白い花がたくさん咲く場所があること、この公園の前の道をまっすぐ行った都島橋には、大きな桜の木があることを教えてくれた。

白い花は車輪梅(学名 Rhaphiolepis indica バラ科の常緑低木)であった。四車線ほどの広い道路に沿った、歩いて20秒ほどの距離の車輪梅の小径。この低木は乾燥や大気汚染に強いことから道路脇の分離帯などによく植栽される。鹿児島県奄美大島では大島紬の染料として用い、葉は消炎、潰瘍、打撲(外用)に効能があるという。
また、道路沿いのこの小径と3メートルほど平行に離れてコンクリートの小道も通っている。中央の車輪梅の小径を歩いてるのは私だけだったが、コンクリートの小道は老若男女がひっきりなしに通る。なぜここをこんなに人が歩く?と不思議だった。この小径の先が病院だからだろうか。

ダンスメモ
車輪梅の小径で寝っ転がっていました。空はすげえ、ことを起き上がった瞬間に忘れる私は、やっぱり薄情?いやそんなことないよと歩きながら、何度も空に、空を見上げました。ダンスは現象です、想いも現象です、なら別に何回も悔いても良い。良いとか悪いとかでは無いか、取り急ぎのところは。
溢れこぼれ落ちるものを大切に、これがダンスの基本ではないでしょうか。

9.「エンヤコラ今夜も舟を出す」

『黒の舟唄』より 作詞/能吉利人 作曲/桜井順

車輪梅の小径でしばらく寝転がったあと、もうひとつのおすすめ場所、都島橋の桜の木に向かった。桜の木はあった。が、桜の木は沢山あった。どれがササキさんのおすすめの桜かわからない、彼女はきっと仕事中、車で橋を渡るときに見たに違いない、ということはその桜は橋上からも見える位置、大きさ、と探偵気取りで探していると、カラスの大群の真下に来てしまった。不穏な羽音、威嚇する鳴き声、暗くなる空気に追い立てられ首をすくめてとにかく川沿いを足早に移動する。壊れてるような自動販売機でグレープジュースを買い飲んだ。
草茂る原っぱに、その神社は突然ポツンとあった。ビビットな景色に一瞬ギョッとしたが、気が良い場所であることはすぐにわかった。神社の周りを作業用ゴム手袋をつけ鎌を使い草刈りをしている女性がいる。
尾崎みつえさんだった。この原っぱはかつて100人ほどの集落地であったこと、ほとんどの住民は船で砂を運ぶ”砂船”の仕事に従事していたということ、この神社は住民の方がここを立ち退いた後、水運業を無事に終えたことを感謝するため皆で建てたということを聞いた。祀られているお地蔵さん達もその運んだ石で彫られているという。
「枚方の方から砂運んでね、川砂はコンクリートの材料にも最適なんよ、
海砂は塩抜かなあかんでしょ。あんたここで踊りするの?そういえばこないだもそんなこと言うてきた人いたよ、タイのお坊さん、黄色い衣着てここで瞑想、メディテーションやね、さしてください言うて何日か来たよ。
私も踊ろかな?あっはっは!」
Duoで踊った後、気になる場所を尋ねるとみつえさんは、北西の方角、毛馬橋西詰の向こうを指差した。みつえさんは、いつの間に手袋を脱いだのだろう。

ダンスメモ
自然に動くことは、滅法難しい。動くことで汚れる、と、草枕の一節にも。自然な動きは見えないんじゃないかな、周りと一体化して。そんな踊りを踊るには、死人になるか、夢のなかで踊るしかないのかな。この場所は大層気が良い場所で、踊っていたら悲しくもなんともないのに泣きそうになった。なんでもないそれだけのこと、それだけのことが結構レアで難しい、でもなんでもないことだけど、やり切ったような納得感があるのよ。だから踊る。

10.「手。手首から指の先までの部分、はたらく人、手をはたらかせてすること。 技法、手段、方向、方法や一回の動作の単位などを指す。幅広い用法を持つ。」

出典 参照:  手 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ようこそ、ceramic gallery and school  plageへ。
以前閉まっていたプラージェ陶芸工房に、陶芸1日体験のシステムを駆使し私はなんとか潜り込んだ。plageはフランス語で浜辺、時間帯、幅といった意味がある、先生のefaさんに尋ねたわけではないのでわからないがもしかすると宇宙や天文が好きで、plageの”太陽の黒点周辺の明るい斑点”という少しマニアックな意味も込められているのかもしれない、それはそれで雰囲気にあっている。紹介してくれたお母さん(ニックネーム、ミヤさん)が言われた通り、気が良い場所で、漫画「へうげもの」(山田芳裕)を愛読する私にとっては思わぬ楽しい経験となった。
大川の方に開け放した明るいガラス戸に向かって、信楽の土をこね、ろくろを回す。土に触れる感触の微妙な変化の連続は、交響曲のように重なり二重三重に味が変化する高級ケーキを手で味わっているような恍惚を呼ぶ。これはもう踊りだろ。トルコブルーの釉薬を塗る予定の私の茶碗は、2ヶ月後に焼き上がる。待つこと、時間をかける事でしか到達できない場所がある。
efaさんに気にいっている場所を尋ねると、このお店か自宅かなあ、出不精だから、とのこと。では、御自宅に伺い踊ります、と調子に乗って言ったけれど笑って許していただいた。
次に向かうのは、The farm universal(茨木市)、並びに、鶴見緑地公園の植物園である。

ダンスメモ
手は、ふにゃふにゃ勝手に浅はかに節操なく動く、でも、世界を一番理解してるのは手かも、足の裏も相当だけど。
手。と、しみじみ、今日は思った。手。

都島区 陶芸 プラージェ陶芸教室 桜ノ宮駅 ろくろ 手びねり 体験 ギフト

11.「「森の思考」に踏み入るには、森に踏み入るように事象の跡を辿る必要がある。」

出典:『森は考える』 エドゥアルド・コーン/著 奥野克己・近藤宏 
/監訳 近藤祉秋・二文字屋脩/共訳 解説より 亜気書房

道は三つあった。尾崎みつえさんが指差した北西の方角、毛馬橋西詰の向こう。plageのefaさんが指す、The farm universal(茨木市)並びに鶴見緑地公園の植物園。
踊ることは出鱈目のかぎりを尽くし、その先へ向かうことだと大野一雄は、かつて言った。
毛”馬”橋、The farm universalの最寄りのバス停は、”馬”場、”鶴”見緑地。馬、馬、鶴。
鶴の一声という諺もある。私は、まず鶴見緑地の植物園に向かった。

12.「大気の誕生だ」

出典:『世界のはじまり』 バッジュ・シャーム、ギーター・ヴォルフ/著 青木恵都/訳 タムラ堂

鶴見緑地公園の植物園、咲くやこの花館はEXPO’90「国際花と緑の博覧会」のメインパビリオンとして建築された。ガラスで囲われた巨大な建物に熱帯から極地の植物5,500種類が栽培されているという。当然区画によって、温度が違う。熱帯花木室などは、モウワッとした熱気でやはり暑い。高山植物室や極地植物室はひんやり涼しい。この日は、汗ばむような日差しが強い日だったこともあってか、極地植物室のベンチには、年配のご夫婦が「ここ涼しいて、ええのう」と腰をおろしていた。
世界の広さ、その気配に打ちのめされるのは、恐ろしいが、また爽快でもある。私の把握できる近い先祖が一度も見た事がないであろう植物の中で踊って、一息ついて古い自動販売機でマルチビタミン飲料を買い飲んだ。ミュージアムショップ近くのベンチに、シャケさんとビビさんがいた。彼女たちは学生であるという。目の前で踊り、その踊りを見て思い出す記憶を聞かせもらい、さらにタイトルをつけてもらった。
シャケさん「えーと、名前忘れたけど、科学館の、うん、大阪科学館にあった、遠心力とか、何かの力で不規則に動くような、そんな実験?装置?それを思い出しました。」
タイトルは、しばらく考えてくれたが、保留しますと、良いのをもし思いついたらメールしてくれるという、自身もイラストを描いていてタイトル決めには苦労するのだと。
ビビさんは、踊る映像を撮る際、
ぬいぐるみも一緒に、と、鳥?のキャラクター二体を地面に置いてくれた。が、私のカメラの三脚は少し壊れていて勝手にぬめっと微妙に動く、あとでチェックすると画角から少し外れてしまっていた。
ビビさんは、「水族館、魚っぽい、不規則な波のようなもの」を思い出し、想起したという。タイトルは「そよ風(仮)」。
二人が、示してくれたここからの次の場所は、風車であった。

ダンスメモ:
ここでは外の空間でも何ヶ所か踊ったのだけど、久しぶりに屋内で(1分くらいだけど)踊った。ああ、囲まれてるという感じに、おおっと自分で驚いた。植物というのは普通に面白い、同じ年齢くらいのおじさんが地面にへばりついて花の写真を撮ってたけど、分かる、それでそのわき目もふらない姿もいいね、なんで姿だけで伝わるものがあるのかな、私はどこで何を感じているのだろう。植物たちも確実に何か思ってる。目は合うんだけど、まだ、喋ったりはできんのよ、植物と。

vol.3へ続く →

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