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一日一文 No.6

久しぶりに雪が降りました。今日のごはんは鰯のつみれ鍋でした。ココナッツミルクがあったので、バナナと煮てデザートにしました。特に寒い日だったので、沁みました。

文化庁が、書道を世界遺産にしようとユネスコに提案するそうだ。NHKのウェブニュースを見ていたら、筆で半紙に字を書く映像が流れた。筆遣いが気になってしまい、書道を習っていたことを思い出した。

私が書道を習っていたのは、確か中学生から高校生までだったと思う。弟が習いたいというので、私もやってやろうと競争心が出てしまい、習い始めた。

先生はおばあちゃんで、ときに厳しくときに優しく、書道を教えてくださった。筆の運びや使い方に特徴のある流派で、筆を垂直に立てることなく、扇子を裏に表に返すように、八の字を描くようにして字を書くよう教わった。

書道では、流派によっては筆の先の弾力性を使って効果的に文字を書く。八の字の運びは筆に負担をかけないので、ゆったりとした線を書くことができる。掠れを面で出すこともできる。私はこの筆遣いがとても好きだった。

好きなだけでなく、それはどうも内面の一部を形成していたらしいとわかったのは高校に入ってからのことだ。美術の選択講義で書道を選択したら、その先生は筆を垂直に立てて、筆を垂直に書く流派の先生だった。

普段それほどこだわりというこだわりがないのだけれど、このときはどうしても高校の先生の筆遣いを受け入れることができず、とても苦労した。先生の言う通りに筆を捻ると、苦々しい罪悪感が広がるのだ。

高校を卒業する頃には、受験のために書道に取り組むことは減ってしまった。それでも筆遣いを覚えている。筆に墨を含ませて、腕の重みと半紙の表面のたぶん表面張力と、その間でできる自然な線をはっきりと思い出せる。

筆をもたなくても、先生にはもうお会いできなくても、あの教室の、新聞紙と新聞紙と墨の香りがする教室の、墨で黒くなった軽くて低い机の前で、筆をとったような気持ちになれる。

筆の使い方、道具の使い方ひとつにも流派があり、その方法は一度身につくと精神的な深いところまでしみこんでいるものだと思った。同じ書道を習っていても大きな差があり、超えられない壁があった。

文化庁は書道全て、ひっくるめて文化遺産に登録するのだろうか。もしユネスコに申請するなら、こうした多様性も入れてくれたらと思う。筆一つとってもさまざまな使い方があることも、きっと文化的な豊かさだと思うのだ。

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