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本気の学び場『バトンズの学校』に触れて

株式会社バトンズ・古賀史健さんが、次代を担うライター育成のために本気で取り組んだ学校『batons writing college / バトンズの学校』。昨年7月の告知時に概要を読んだときに「もし自分が20代だったら確実に受けていただろう」「いや、むしろいまの自分でも受けてみたい」と強烈に感じた記憶がある。

大人の学び直しについては、ここ数年で見かける機会が増えた。私は人生100年時代をポジティブに受け止めていないタイプだが、どんな立場や役職であれど、人生において学び続けることの重要性は増している。時代が変わっているのだから当然。そもそもの思考や価値観のOS自体を入れ替える方が、よっぽど早くて強い。

ただし、歳を重ねると自分のOSに依存してしまい、小手先のアップデートで誤魔化してしまう可能性が高い。自分だってそうだ。なにをもって自分が変わっていけたのか。その実感を得ることは、黙々と内面に向き合い続けるだけでは難しいのではないか。他者の壁打ち、尊敬すべき人からのフィードバックがあれば、きっと感情が揺れて、思い込みで固まった感性にヒビが入る。

喜怒哀楽が発露し、悩み打ちのめされてこそ、大きなスペースが生まれて新しい考え方がぬるりと入り込んでくるはず。ぴったり収まることは稀で。歪にはみ出て、こぼれて、使い古した金型のような鈍い光を放つぐらいがちょうどいい。

「知ることは実践のはじまりであり、実践は知ることの完成である」

——王陽明(1472-1529)

https://note.com/fumiken/n/nf86825b41b07

この引用は、古賀さんのnoteに残された言葉のひとつだ。

株式会社Huuuuを立ち上げて丸5年。誰かに師事することなく、一人親方として全国を放浪しながら、目の前の仕事をコツコツではなく、ゴツゴツと取り組んできた。社会と経済の流れは、時に大胆なエネルギーを生んで編集者を呼び寄せる。自らが流動体となって47都道府県と数多の市町村、四季折々と長い夜をランダムに過ごしてきた集積は、脳と身体に刻み込まれている気がしてならない。どの引き出しにどの言葉があるのかも朧げだ。必要なときにぽろっと出てくる確かな言葉はある。

この感覚は、「知ることは実践のはじまりであり、実践は知ることの完成である」に通じていて、残念ながら完成した節目を自覚することなく、絶え間なく実践の芽が生まれ続けていく状態だ。まだどこかの過程でしかない。こんなことを言うとおこがましいけれど、私が学び続けてきた学校は、”日本の自然史と人間の歴史”なのかもしれない。ここに含まれる学びの項目は無限大で。枠をつくることなく、可能である限り境界線を軽薄に飛び回りたいのが望みだ。

正直、いま自分が背負っている肩書きをぜんぶ捨てたほうが、より自由に思考できるんじゃないかとすら考え始めている。社会通念的にいえば、「経営者」の肩書きは経済と接続するには便利だ。職能でいえば「編集者」なのだろう。今年40歳を迎えることもあって、今後どう生きて、働いて、暮らしていこうかと考えていた矢先に、『batons writing college』の最終補講に呼ばれたのだった。

書き続けることは人間性を取り戻す作業

古賀さんとは一度ランチをしたことがあったものの、しっかりと踏み込んだ話をしたことはなかった。今回、声をかけられたときに喜びとともに「なぜ、こんな野良の人間に…?」と少し気後れしたのも事実。

ひとりの書き手として、古賀さんがトップランナーであることは間違いない。代表作『嫌われる勇気』は世界累計500万部のベストセラーなのだから。自分にできることはなんだろうか…どんな役割が求めているだろうか…と数分悩んだが、大体のオファーはなにかしら意味がある。その意味は現場に行けば身体で感じることができる。

いざ、学びの現場へ。

会場に入って、椅子に座って開始を待つ。東京で活躍するライターや編集者、作家の方々に軽く挨拶して過ごすものの、どうにも座りが悪い。最近ずっと自然の中で時間を過ごしていて、すっかり感性が山のおじさんになっているのをじわりと感じた。人見知りを覆い隠して、古賀さんの授業に集中することにした。

基本的な学びのステップはすべて終了した後の補講で、久しぶりに再会した先生と生徒たちの緩んだ空気に包まれていた。関係性の糸がぼんやりと見えるくらいに。好奇心と学びの矢印は、とにかく古賀さんに向かっていた。

トップランナーの書き手が、文章の構造を分解し、この授業のために講義を作る。なんて贅沢な時間なんだろう。わずかな修行期間と野良の実践だけで、自分の射程距離にある編集を過去語ってきたこともあったが(いまはまったく語りたくないぐらい)、古賀さんの具体すぎる方法論と考えて実践させる余白をもったフィードバックの構成は目から鱗だった。学び直しなんて視点ではなく、ライターとしてキャリアを積むための出発点がぜんぜん違ってしまう類のものじゃないだろうか。

その後、ゲスト編集者含めた質疑応答のパートへ。

いざ質問が始まると、場の空気が変わったように思えた。数ヶ月のブランクを経て開催された補講の背景もあるのかもしれない。学びと実践を繰り返した脳が酸欠を起こしていたかのように、この一日が終われば卒業してしまう寂しさが心を焦らすかのように、最後のバトンを掴んで離したくないような必死さが質問の意図に垣間見えた。

参加者30名。

3年前ぐらいからライターを目指す人が一気に減ったというか、いわゆるウェブ媒体を土俵にした謎の盛り上がりが落ち着いてきた昨今。コロナをきっかけに、不確実性の高い世の中を乗り越えるための問いをもったウェブメディアの流れが生まれてきているように思う。情報発信とはなんなのか。バズればいいのか。過剰な自己啓発本を売ればいいのか。わたしたちはなにを伝えればいいのか。

透明な社会は仄暗い霧で覆われて、細かく刻まれた文章の流布は信頼性を失ってきている。元々そうだったのかもしれないが、人間の感情が可視化されすぎた世の中で、まっとうに立ち続けることが難しい時代を迎えていると私は思う。だからこそライター編集者の職能は今後もっと高まる。正解のない靄のかかった道を切り拓くことができるからだ。

まずは自分の掌のなかにひとつの答えを握りしめるべく、書くことに己の時間を費やして燃やせばいい。聞くこと、考えること、整理すること。この思考の繰り返しは、まず自分の糧になる。かつての自分もそうだったように、だれに頼まれなくとも、だれかの顔色を伺わなくとも、書き続けることはお金のかからない人間性を発揮できる作業ではないだろうか。

取材に関しては、だれかが積み上げた人生の一部をたった1〜2時間で”わかった気になってしまう”、恐ろしくもおこがましい行為なので、人間と人間で向き合う姿勢を崩してはならないと自分の後輩には伝えている。言葉をむやみやたらに荒く引きずり出して、自分本位な解釈で置き換えることもまた起きやすいから、このあたりは会社でも言語化して棚卸ししないとだなぁ。

などなど、目の前に広がる本気の学校の光景は、長野に持ち帰ったいまも思考を止めさせない力を持っている。古賀さんが用意してくれたバトンは、これからの自分のキャリアにも今後流れ続ける教育マインドの塊だったのかもしれない。実際、参加者のなかには地方から通っている人もいたし、私が主戦場として活動してきたローカル領域に縁ある生徒が一定数いたのだろう。誘われた意味がそこでようやくわかった。自分が取り組んできた世界も決して無駄ではなかったんだなぁ。

しかと受け取りました。

古賀さん、そしてツドイの今井さん、声をかけて話してくれたゲストの皆さん、まっすぐな眼差しで質問してくれた生徒の皆さん、改めてありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう。

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1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!