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松屋バイトで見た十三の景色 - 『Neverland Diner―二度と行けないあの店で』出版に寄せて

2021年1月22日、僭越ながら私も日下慶太さんの紹介で寄稿させていただいだ書籍『Neverland Diner――二度と行けないあの店で』(編集:都築響一)が出版されました。

640Pのカツサンドみたいな分厚さで、手に取ると驚くと思います。


著者:総勢100名(掲載順)
都築響一 矢野優 平松洋子 パリッコ いしいしんじ 俵万智 向井康介 玉袋筋太郎 水道橋博士 江森丈晃 土岐麻子 安田謙一 林雄司 古澤健 滝口悠生 遠山リツコ 髙城晶平 内田真美 イーピャオ/小山ゆうじろう 吉井忍 コナリミサト 永島農 谷口菜津子 石井僚一 佐藤健寿 和知徹 九龍ジョー 篠崎真紀 ツレヅレハナコ Mistress Whip and Cane 佐久間裕美子 吉岡里奈 松永良平 劔樹人 堀江ガンツ 見汐麻衣 小宮山雄飛 朝吹真理子 吉村智樹 日下慶太 スズキナオ 益子寺かおり 中尊寺まい 小谷実由 川田洋平 安田理央 上田愛 酒本麻衣 呉ジンカン 小石原はるか 兵庫慎司 Yoshi Yubai ヴィヴィアン佐藤 とみさわ昭仁 伊藤宏子 理姫 大井由紀子 古賀及子 いぬんこ 飯田光平 逢根あまみ 椋橋彩香 菊地智子 マキエマキ 村上巨樹 村上賢司 桑原圭 直川隆久 梶井照陰 高橋洋二 Oka-Chang ディスク百合おん 豊田道倫 茅野裕城子 池田宏 金谷仁美 徳谷柿次郎 島田真人 小林勇貴 スケラッコ 平民金子 本人 鵜飼正樹 石原もも子 たけしげみゆき VIDEOTAPEMUSIC 友川カズキ クーロン黒沢 柳下毅一郎 幣旗愛子 安田峰俊 平野紗季子 村田沙耶香 高野秀行 くどうれいん 田尻彩子 比嘉健二 バリー・ユアグロー 大竹伸朗

100人です。100人。

「子供の頃、親に連れられて行ったレストラン、デートで行った喫茶店、仲間と入り浸った居酒屋……。誰にも必ず一つはある思い出の飲食店と、舌に残る味の記憶」を皆さん綴られています。

尊敬の念を抱きすぎている憧れの編集者・都築響一さん。日本語ラップとともに思春期を過ごして、いまだにそのマインドが抜けきっていない私にとって都築さんが手がけた書籍『ヒップホップの詩人たち』はマスターピースすぎる一冊です。

現場に足を運んで、自分が一冊にまとめたいテーマのエッセンスを深いところからすくい上げる。インタビュー依頼をラッパーにお願いすべく、クラブの最前列に陣取って筋を通していく姿勢、相手の地元でインタビューを敢行して生々しい描写を映し出す本の作り方は「すさまじい」の一言。

ジモコロの編集方針はもちろん、Huuuuとしての根っこには現場主義のDNAが確実に宿っています。都築さんが歩いてきた痕跡を確かめながら「よし、間違ってないぞ」と、なんとか4年間小さな会社を続けられている。

だからこそ今回の寄稿は正直、緊張しました。気張りました。

正直、20代はお金がなくて生きることに必死で、いわゆるグルメ的な時間の使い方は一切できていませんでした。26歳まで大阪でアルバイト生活を続けて、たまに美味しいものは食べていた記憶があるけれど、そこに主体的な「いい店」にたどり着いた実感はひとかけらもありませんでした。

だから、自分がバイトリーダーとして20代前半を捧げた牛丼チェーン店「松屋」の話にしました。365日中、500食ぐらい従業員食として食べてたと思うんです。牛めし、チキンカレー、ビビン丼、カルビ丼、豚焼肉定食…人間の盛りともいえる20代前半はファストフードの松屋だった。

細胞レベルで刻まれた食の体験と大阪・十三の土地が生んだ理不尽なハプニングの連続。ここに私の人生が詰まっていて、数年ぶりに店舗を見に行ったら閉店していて、代わりに松屋フーズの別業態・とんかつ専門店『松のや』が入ってたんですよね。

ふざけんなよ、と。

同じバイトリーダーの雅子はどこにいったんだよ!(卒業時にワンピース全巻もらいました)深夜帯の帝王・高橋さんはどこにいったんだよ!就職したのか!?(松屋あるあるのバイトを抜け出せない先輩…)

みんな、みんな、みんな…。

というわけで、人生を捧げた「松屋」への想いを寄稿しました。一度、長野から大阪へ戻って、写真を撮ってくれた柳下さんと一緒に十三を歩きました。変わっているけれど、変わっちゃいない。しょんべん横丁は燃えてしまったけれど、生きるために稼いだ時給960円の価値は心から消えない。

今回、版元のケンエレブックスさんから掲載許可をいただいたので全文掲載します。少しでも興味が湧いたら、ぜひ本書を購入してみてください。


松屋バイトで見た十三の景色

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人生で一番しんどかった仕事は牛丼チェーン「松屋」のアルバイトだった。

二十歳前後の頃、「松屋」で深夜アルバイトを始めた。一般的な人生のレールから大きく外れ始めたタイミングで、昼間の明るい時間帯に人と会いたくない、もっといえば地元の友だちと会うのを避けたい。泥まみれのコンプレックスを抱えて、誰も自分のことを知らないインターネットにもっとどっぷり浸っていたかった時期だ。

場所は大阪の十三(じゅうそう)駅。阪急系列のターミナル駅として機能しているこの土地は、駅前に「しょんべん横丁」といわれる飲み屋ゾーン、当時も現在でも絶対にアウトな「名案内コナン」の風俗案内所、鉄腕アトムとサザエさんの磯野波平を勝手に合わせた謎キャラクター「鉄わん波平」、女性の脱ぎっぷりに独自通貨のお札で花束を作るおじさんがいるストリップ劇場「十三ミュージック」など、雑多で自由な昭和の欲望を抱え込んできた。そして今もなお、その欲望がこぼれ続けている特異な土地ともいえる。

日商40万円の人気店舗とカオスな土地の洗礼

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十三店で働き始めてから予想を超えるトラブルやアクシデントに巻き込まれることが増えた。そもそも昼間帯の希望を出したにも関わらず、人手不足を理由に深夜帯へのヘルプ出勤が発生。さらに売上が圧倒的に高い店舗のため、死ぬほど忙しい。日商は約40万円。12〜13時のランチピークタイムだけで300人をさばくことも珍しくなかった。

この多忙加減は経験しないとわからないし、飲食バイトの世界にもよるかもしれないが、うまい、やすい、はやいの三拍子カルチャーをライバル店舗「吉野家」が掲げていることもあって、客が牛丼屋に求める基準は爆上がり。自分ではコントロールできない他者の意思に翻弄され続ける“戦場”に近い感覚だ。

忙しい時間帯は基本4人体制。それでも接客を一歩間違えれば、カオスな土地・十三の洗礼を受けることとなる。

一例を紹介したい。


●サービスの「味噌汁」にキレる客
「松屋」の人気メニューであり、コアなファンを抱えているのは「チキンカレー」だ。当時で280円ぐらい。現在は「オリジナルカレー」と「ごろごろチキンのバターチキンカレー」に枝分かれしてややこしい。

当時の「チキンカレー」は提供オペレーションも簡単なため、注文が入って数十秒で提供することが可能。このスパイシーでアッツアツの「チキンカレー」に、よかれと思ってサービス提供しているのが味噌汁なんだけど、この組み合わせに価値を感じる人もいれば、激ギレする人もいる。

「おい、兄ちゃん。こんな辛いカレーにあっつい味噌汁つけるってどういうことやねん!ただでさえ辛いのにもっと辛くなるやろうが!店長呼んでこい!」

店長を呼べ。サービスの味噌汁なのに。気持ちはわからなくもないが、舌の好みで激ギレのクレームに発展するのは衝撃だった。辛さに激昂する客。でも、きっちり食べ終わっている。理不尽なクレームにただただ平謝りするしかない。料理に口うるさい海原雄山クラスのおじさんが「松屋ワールド」には突如出現する。


●血溜まりの人工臓器をさらけ出す客にキレる客
深夜2時。運営はいわゆる一人回しだ。飲み続けて終電を逃したサラリーマンや夜の世界で働く人種が訪れやすい時間帯ともいえる。テーブル席側にひとりのおじさんが座り込んだ。少し顔色が悪い。牛丼の食券を渡されて「牛丼一丁!」と声をあげて、自ら調理場へ戻り、牛丼を盛り付けて提供する。文字にすると滑稽だが、この一人回しこそが24時間営業の飲食店を支えているのも事実。

顔色の悪いおじさんに牛丼を提供するとき、服がめくられお腹がほぼオープン状態になっていることに気づいた。しかも、人工臓器らしき透明の袋がお腹に刺さっていて、そこには少量の血溜まりが見えた。

「えええ、どういうこと?病院でも抜け出してきたの?」

しかし、どんな体調であろうとも、お客さんはお客さん。あまり気に留めず、そのまま深夜帯の清掃作業に勤しんでいたら、テーブル反対側のカウンターに座っていた客が吼(ほ)えた。

「おおおおおおい、兄ちゃん! あんな血溜まりのおっさんの腹見ながら、メシ食えると思ってんのか? 気持ち悪くて牛丼が喉通らんわ!」

ごもっともな意見だった。ただ人工臓器のおじさんには悪気はなく、少し離れた距離で牛丼を食べている存在に過ぎない。このどうしようもないクレームが現場に出現しても、店舗側の運営マニュアルに対処法は書かれていない。あまりにも特殊すぎるし、どちらの気持ちもわかる。

最大の配慮を払いつつ、人工臓器のおじさんには「すみません、お客様。あちらのお客様がちょっとお腹のモノに違和感があるようで……」と一言告げて、少し早めに退店してもらった記憶がある。この一言告げている姿勢をカウンター側の客に示すこと。意見を聞いてとりあえず形だけでも謝罪し、最大限対処することが「松屋ワールド」を生き抜く秘訣なのだ。たぶん。

●ホテル監禁から逃げ出した若い女性が飛び込んできたピークタイム
十三店のランチピークタイムは忙しい。12時を目指して300人対応できる準備をしなければいけない。牛丼の肉を炊き、生野菜のストックを大量に用意し、あらゆる局面を乗り越えられるようメンバーに指示を出す。一生懸命バイトに向き合ったこともあって、2年目から時間帯責任者のシフトリーダーにまで私は出世していた。仕事と責任は爆増しても時給は60円アップ。あらゆるクレームやトラブルに立ち向かわなければならない役割だ。ああ、楽しい。楽しいぞ、社会の歯車ってのは!

ある日の11時40分頃。どんなピークタイムも乗り越えられる環境を整えた直後、自動ドアを慌ただしくこじ開けて、若い女性が必死の形相で厨房の中にまで入り込んできた。松屋の厨房と接客スペースを仕切る境界線「ウエスタンドア」を越えて、ダサいユニフォームを身にまとわず、手も洗わず……。えええ、なんなの!?

「わたし、さっきまでホテルで監禁されていたんです!助けてください!!」

牛丼の盛り付けは、時計の針で12時→15時にかけてお玉をクイクイっと動かすことがもっとも大事なポイント。脇を締めた手首の小気味いいリズムで牛肉、玉ねぎ、タレが規格範囲の量となって集めることができる。

だが突然のやばい来訪者によって、お玉を手に持つ私の腕はガタガタと震え始めたのだった。どうしよう、グラム数が狂う。

「えっ、ホテルで監禁? すごい形相だし、よく見たら服が荒れてる気がするし……だとしても何で命に関わるSOSを松屋のシフトリーダーに求めるんだよ!」

これは心の声。そして恐怖は伝染する。パニックになった私は、そのまま震える身体で牛丼を盛ろうとしていた。これからめちゃめちゃ忙しくなるタイミング。ほかのバイトメンバーも状況を理解できていない。越えてはならない境界線を飛び越えてきた若い女性の出で立ちに、ただただ困惑していたように思う。

結局、牛丼の盛り付けはほかのバイトメンバーに任せ、厨房内の電話で110番をして警察に来てもらった。事件の詳細はわからない。この土地にはさまざまな欲望が絡んでいることは知っていたし、ホテル監禁のトラブルがあってもおかしくないとは思う。ただその場から逃げ出してきた若い女性が、たまたま私の働く「松屋ワールド」に飛び込んできた。ただそれだけのことなのかもしれない。


もう同じ場所に「松屋」はない。そこには「松のや」がある

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さて、つい先日、ひさしぶりに十三駅を訪れた。しかし、通算6年のバイト生活を支えると同時に、あらゆるカオスの洗礼を浴びせてくれた「松屋」はそこになかった。酔っ払って入口の窓ガラスを突き破ってきたチンピラとの対峙や、男性小便器にウンコをしていく徘徊婆さんの対処…。松屋は全国に1000店舗以上あるが、私に人生で一番しんどい仕事を体験させてくれた“あの松屋”はもうない。

代わりに松屋フーズが展開するとんかつ屋チェーン「松のや」に業態が切り替わっており、店内を覗き込んでも、当時のバイトメンバーの姿は見当たらなかった。昼間のシフトで同じバイトリーダーとして働いていた主婦・雅子も、松屋の仕事の流儀を叩き込んでくれた高橋先輩も、そこにはいなかった。なんだろう…このゆるふわな喪失感は。誰もが人生の歩みを進めているのだから、環境は変わっても当然だ。でも、そのままで在ってほしかったというエゴな気持ちも自覚できた。

昼は時給960円。深夜は時給1160円。賄いとして年間300回以上、私の胃袋を満たし続けてくれた「松屋 十三店」は、良くも悪くも20代前半のすべてだった。

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そして私が編集の世界に入るきっかけを生んだ出会いも、この店だった。レジの締め作業中に携帯電話が鳴り画面を見ると、東京で名刺交換をした編集プロダクションの社長の名前がそこに……。

「いま大阪に来てるんだけど会えるかな?」

身体が咄嗟に反応した。「行きます!」と後先を考えずに言葉が出た。同僚の主婦・雅子に「東京で出会った社長が近くに来てる。これは絶対にチャンスだから会いに行ってもいいかな?」と必死の剣幕で訴えたら、コンマ2秒でOKが出た。

「わかった。チャンスだったら行ってき。仕事は任せて」

ひとつの選択と行動で人生は変わる。あれから10年経った。カオスな松屋ワールドを抜け出して上京し、今では小さい会社を経営している。ありがたいことに「編集」の仕事でメシが食えているのはこの出来事があったからだ。

十三の景色から東京の景色。そして全国47都道府県の景色へ。ローカルの飲み屋の世界を掘り続けていれば、当時を思い出すようなやばいおじさんに出会うこともある。それが何よりの楽しみになっているは十三の原体験があるからだろう。

ありがとう、松屋。あの店があったから現在がある。

写真:柳下恭平

1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!