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夢日記2

夢日記2

〇注意
 起きてすぐにiPhoneのメモ機能で書いたものに少し手を加えてあります。それでも、起きてすぐの僕の感覚で組み立てられた文章であるから、読みづらいと思われます。僕も読んでいてよくわからない。
 夢日記をつけるようになってから暫く経つのですが、そのなかでも文章量が多い物を選びました。

 僕は動物園から出ようとしていた。人間以外の動物は一匹たりとも見当たらなかったけれど、僕はそのゲートを動物園からの出口だと思っている。係員から「退園時にもチケットを見せてもらいます。」と言われ、僕だけすぐに見つからずに数人の(顔は朧気だが、いたと認識している)連れは先に出て行ってしまった。

 くしゃくしゃの包装紙がどこからか落ちて来た。橙色の幾何学模様が描かれたそれには、よく見ると柄と同じ色で小さく「大吉」という文字。包装紙を広げると、なかにはチケットが見つかった。先に調べた「主人公」と書かれた包装紙にはなかったのに(僕はチケットがもしあるならば、その「主人公」と書かれた方の包装紙に包まれているものだと思い込んでいた)。

 動物園を出てすぐのところで呼び止められる「Warte !」と、ドイツ語で。塩ビくらいの細さ、30センチくらいの長さ、のジョッキを持ってる少女、彼女はドイツの古めかしい酒屋にでもいそうな格好をしている。僕は少女であることを知っているが、彼女はどう考えても少女のような見た目をしていない。ビールを彼女から受け取る。それは確かにビールの味がしたのだけれど青色を呈していて、とても美味しそうには、とてもビールには見えなかった。

 ビールが注がれたジョッキにはローマ字で「〇〇動物園」と書かれている。僕はもう動物園の外に出てしまっている、ドイツ人の少女は動物園の中の人間だから返せないなぁと思っている。たぶんこれは持って帰ってもいいやつなんだろうと僕が考えているところに「ここに置いて帰ろう」と誰かが言った。そこには籐籠があって中に僕が持っているのと同じジョッキがたくさん入っていた。もう僕のものになったと思っていたのに(それと同時にこんなに繊細でとても脆いものを持って歩くのは不自由だとも思っていた。)残念だ、と思いながら籐籠のなかにそれを慎重に納めた。僕に声をかけたやつは満足そうな顔をしてみせて、それから「早く行かないとバスに間に合わないぞ!」と言った。

 次の瞬間から僕はバスの中にいた。先生に「君たちの班が10分遅れた所為で、クラス全員が待たされている。先生たちも待たされている。エンジンはかけっぱなしでSDGsがエコが環境保全が…時間を守れないなんて…」というような説教が始まった。詳しいことはよく覚えていないのだけれど、僕は大きな声で先生を詰め出した。「いやねぇ!先生!時間なんて本当に存在しているのですかねぇ!どうですか一度!僕の話を聞いてください!山田くんが思春期に嶋田くんに変わる!(僕の知り合いの山田くんは中学生頃に両親が離婚して嶋田姓に変わったのだが、それをH2Oのあの曲の調子で歌った、何故かは知らない)」
 「LGBTがなんだ!じゃあペドフィリアもネクロフィリアも国が保護しろ!」僕が先生をはじめとする全てを敵にまわして話続けている間、誰も何も言わないでバスの中で首を垂れている。「運動会に参加したところでなんになるんだ!あんなもの!」いつのまにか僕は外にいた。長い行列があって、それに向かって僕は話している。すると駅の方から「これから運動会を始めます。」という放送委員の声、がさがさと雑音混じりにスピーカーから流れる。意味を解せずにあたりを見回して、殴れば泣きそうな中年男性に声をかけると「君、さっきのスピーチここまで聞こえていたよ。君が話していたんだろ?」と言われた。

 「最初は徒競走なのですが、ここ(僕もここがどこだかわかっていない、場所は僕の意識の流れの最も曖昧なところに依存しているため、常に変化し続けていた。僕が中年男性に話しかけたときは新宿だったような気がするし、僕が行列を見つけたときは八王子だったし、その前は京都の岡崎公園のようであったし、今は京都駅になっていた気がする。)では走れないので、のぞみ号に走っていただきます。皆さんは青森か、長崎か好きなところをゴールにして応援してくださいね。白組も赤組も両方がんばれ!」ルール説明は的を射ていないのだが、僕は理解したつもりになって「博多だ! いや、長崎だ! 小倉だ! 鳥栖だ!」と叫ぶ。

 次の瞬間から僕は新幹線に乗っている。周りには名前は忘れてしまったが、見知った顔の男女が数人。「君たちも僕を信じてくれるのか!」と尋ねれば、曖昧な表情を浮かべるばかりで僕と目を合わせようとしない。誰かがトイレの個室から僕の名前を呼んでいる。隙間から中を覗くと昔仲良かった少年がそのままそこにいる「これからパラシュートでここから脱出するんだ!」と言う。僕は彼の語気の強さに負けて「あぁ、そうか頑張れよ」と多少狼狽の色を差した声で応えた。

 今僕が乗っているのは新幹線だとさっきまで思い込んでいたけれど、在来線のような座席の色だし、スピードが速いだけでどこを走っているのかもわからない。窓の外を見ると列車に引き摺られているパラシュート、もはやただの布きれ。それから景色の方が大事だと思えば長崎っぽい街並みになる。いやパラシュートには、と思い直し布きれを見つめていると景色は岡山の中山間部を走る。僕は岡山や福井だと思っているのだが、岡山であると曖昧な僕が断言している。

 動物園に行く前に、祖母の家で僕はチリコンカンを作ろうとしたのだがカットトマトしかないしホールトマトを買いに行かなければならないと思っていた。それに必要のないマカロニを水に晒してグニグニにしていた。

 電車内を散策すると食堂があった。厨房に入ってパントリーみたいなところを開けると僕の好きな銘柄のトマト缶がいくつも積まれている。それに僕の好きなスパイスばかりが棚に納まっている。全部持って帰ろうとすると、ヒットラーのコスプレした男に止められる、丁寧にあの口ひげまでつけて。「いやしかし、これは夢であるから、夢でこんなことしても別に咎められないでしょう」というと彼は「君は夢と現実がわかってないのかね、試しに逃げてみなさい。」と流暢な日本語(夢のなかで記号的言語は意義を失って、僕の視線の向けられる場所に直接的な意味が明示的に揺蕩っているのだから言語が果たしてどれほど重要な問題だろう。動物園を出てすぐに僕のことを呼び止めた少女に関してはドイツ語母語話者であることに意味があったのだが。)で言った。僕は厨房を飛び出して街に出る。煉瓦造りの同じような家ばかり、石畳の道路は走り続けていると疲れる。道脇の階(きざはし)に退屈そうな顔を貼りつけた中年女性が座っていて「僕は結局どちらへ逃げたらよいでしょうか。」と尋ねると、無言で家の中を指し示す。彼女の家であるか知らないが、とにかく言われた通りに僕は家の中へ入る。

 家は変な作りになっていた。どこにも繋がっていない扉があったり、階段が途中でなくなっていたり、そうかと思えば一階からずっと続く長い階段が屋根を突き破って外まで出ていたり、一枚の扉を開くとドミノ式にたくさんの扉がひらいたりした(木の扉どうしがぶつかりあって作用する音は木琴のような軽い音だった、それがいつまでも続く。時間が経つにつれて、音と音との間隔が短くなっているような気もする。扉の体積や質量などについて考慮するまでもないほどに軽すぎる音)。それに四面ある壁のうち一面が、急になにものか避けがたい事象によって失われてしまったかのようにはじめから作られている部屋。僕は他の家にも入ってみるのだけれど全部の家がそんな感じで中途半端。

 いつのまにか背後にヒットラーのコスプレ野郎が来て「ほら、わかったかね。あれは全部夢の途中に繋がっているんだよ。繋がっていると言うことは可逆的でなければいけないね。君がみた階段は夢の途中で途切れている。あれを乗り越えた先に現実があるのだ。逆に、あの部屋の壁は僕らの夢の中にある。これらの家は現実にあって夢になく、夢にあって現実になく、しかし夢を前提として現実に干渉できるように造られているのだよ。食堂から君が盗んだコリアンダーの花がそこ(部屋のペルシャ絨毯を突き破って生えてくる、にょきにょき。タケノコにしか見えないが彼がそういうからコリアンダーということで納得したふりをする)にある。君の夢はいつも誰かに追いかけられているけれども、追跡者は君自身なのだよ。現在的な自分が過去的な自分を追いかけているという構図だね。かくいう私も追跡者として君と対峙しているわけだけれど、君であって君でない。記憶の断片的存在、君が姑息な創造主であるこの家らのようにとても断片的すぎて頼りがいのないもの。このある種の前衛的な建造物が実存的空虚感の振幅を助長させるものであり、彼女(踊り、歌う女たち)の蛇のような眼差しは三角関数のグラフ、踊る女を無限に発散させた先にある序章か、旅情に絆されて詩を読む君の韻律だけは具現化してはいけない、世界的にはくだらない賞ばかりで猿(ape、それは模倣者として)が消費しにやってくる。女を犯そうとして性器にはクラゲと鼻、君が愚息を押し付けているのは鼻の穴なんだよ。それにほらその女の亭主が今にも怒鳴り込んでくるはずだ。君は逃げるしかできないのか卑怯者め。君は卑怯だ。君の囚人番号は素数ではない!薄汚い偽善者の偶数だ!」

 彼が語ってくれている間、彼が語ったような映像が主観的経験として僕の五感にあった。彼が語ることは何一つとっても言語的でないような気がして、鳴き声に変わる。それでいて拠り所のなくなった僕の経験的映像は過去の様々な夢の影響を受けて、ぐにゃぐにゃのマカロニ。ぐにゃぐにゃ、果たしてあれらの映像は一度現実に体験したものであったのか、それとも夢のなかで経験から再構築されたものであったか。どちらにしても私(私は私、カモメでない私)は救われない、僕(ここでいう僕は意志をもった不断の実存、主体的に自由意志によって可能性の取捨選択をする僕)は救済でありたい(いや、一体誰に対しての救済なのであろうか)。大脳のくらくらしい部分、原始的な感情だけがあって後から言語を合わせる自然疎外、それを生業にして幼い兄弟を養っている機織りの女工が僕を非難するんだ、ヒットラーのコスプレ野郎みたいに。

〇覚醒時に読んで
 明け方の夢のほとんどが物語性に欠けていて、抽象的な言葉が飛び交っている。言語化するのは難しいのだけれど、この日の僕は比較的よく書いているほうだと思う。全く上記のとおりであるとは言わないが、読み進めるにつれて夢の記憶が呼び起されてきた。自分の夢日記であるから、僕個人としては面白いのだが…果たしてこれを面白がれる人間が他に存在するのだろうか。多分、理解しようと思って読めば…また意味を捉えようとして読めば…これほどまでに支離滅裂で意味もない文章は他に類を見ないわけで…。と、まぁ複雑な気持ちになります。

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