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人生の主人公は自分自身、の話

来年の3月、私は今の仕事を辞める。その先のことは何も決まっていない。4月の自分の誕生日でさえ、どこで何をしているのか皆目見当もつかない。

人生で初めての挫折なのだと思う。
これまではどちらかというと「いい子ルート」を歩んできた人生だった。中学受験をして中高一貫校に入り、地元の九州にある大学よりも高いレベルを求めて18歳で家を出た。関西で4年間を過ごし、就職を機に上京。看護師として社会人2年目だ。それなりのお給料を貰って24歳にしては比較的良い暮らしをしているのだろう。
仕事が嫌いなわけではない。しんどいことのほうが圧倒的に多いけれど報われることもたまにはある。
1年目は辛くて当たり前、2年目からは少し楽になる。でも3年は辛抱。周りの多くの人生の先輩たちはこう言う。その言葉を反芻しながら毎日働いていた。

肉体労働が辛いから、人間関係が上手くいかないから、リアリティショック等を理由にこの職を離れる人は多い。けれど私には絶対的な理由はない気がする。むしろ絶対的な理由がないからこそ、決断できずにずるずる2年目に突入し身も心も消耗してしまったのだと思う。ある日それに気が付いて勇気を出して先輩に相談してみたけれど何も変わらなかった。そうして迷っているうちに家庭の事情も重なってしまい「もう抱えきれない」というところまで来てしまった。そこから上司とも話し年度末に退職が決まり、今に至る。

二度と看護師をしたくないとは思っていない。ただ今の状況は圧倒的に得るものより消耗することの方が多い。他の仕事をしてみたいとも思うが、高校生の時に進路を決めて以来、看護師になる将来しか描いてこなかったから何をしたいのかも良くわからない。というかやりたいことはあるけれど、“仕事として”となるとしっくりこないと言った方が良いだろうか。初めて「いい子ルート」を外れることに恐怖心だってある。
日々そんなことを悶々と考え、でも未だに結論は出ないでいる。

そんな時久々に伯母に会った。母の姉である伯母は30年以上看護師をしている大先輩だ。夏前から計画していた伯母と伯母の友人たちと南の島での現実逃避中、会話の流れで今後の事を相談した。

「レールを外れるんじゃないのよ、人の敷いたレールから自分のレールに移るだけよ」

伯母がくれたこの言葉が今も耳から離れない。
そうか、私が歩んできた「いい子ルート」は世間一般的に「良い」と思われているレールでしかないのか。決して私が敷いたレールじゃない。家を出ることも、関西を離れることも全部自分で決めたけれど、それは分岐点でただ行き先を選んだだけに過ぎない。

私はいつでも自分の人生にわくわくしていたい。「若い頃は良かったね」なんてこの先何歳になっても言いたくない。自分で自分を世界で一番の幸せ者にしてあげたい。そう思っているから。自分らしいレールを敷いていくよ。人生の主人公は自分自身。伯母の言葉を再度借りるなら「他の人の人生のエキストラもしながらね」。

#君のことばに救われた #エッセイ

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