選んでよかったことなんて、人生にないと思ってたけど
「選んでよかったこと」?
こちとらそんなことをひとに堂々と自慢できるような素晴らしい人生送ってないんだって。
生産的なことをするでもなくスマホをだらだら見つめながら、どろどろした黒い劣等感をくすぶらせる。
noteの画面を見つめる。
あのひとも、あのひとも、ぜーんぶ一面、困難を乗り越えて人生充実した幸せなひと。
たいして、こっちの人生は失敗つづき。
はあ、鬱だ。
そう思っているあなたへ。
大丈夫。大丈夫になるよ。
中学生のころ、田舎で成績が万年学年1位だったわたしはある決意をした。
どうせ通える高校は勉強しなくても受かるし、進学できる高校でいちばん偏差値の高い高校に行きたい。
その高校への進学は、一人暮らしをすることを意味していた。
隣町の私立の高校がうちの中学に説明会に来た。
「このなかに、東大に行きたいひとはいますか?」
わたしは手を上げなかった。
だってほんとうに東大に行きたいんだもん。
わたしはあなたがたの高校じゃなくて、ほんとうに東大に行ける高校に行くの。
しかしわたしには、致命的な欠陥があった。
勉強しなきゃいけないのがわかっているのに、勉強したいのに、やる気がでなくて勉強に手をつけられないのだ。
(のちにこれはADHDが原因であると判明する)
おかしいなって真剣に悩んでいたけど、
「進学校に入ったらさすがに勉強するよね」と思っていた。
大して勉強していないのに、わたしは第一志望の高校に合格できてしまった。
実家をでてアパートに向かう車で、わたしは予想していた以上に強い不安を感じた。
母は「どうせすぐ電話してくるんでしょ」と言った。
「いつでも電話してきてね」って言ってくれたら電話できるのに、そう言われたら意地で電話できないじゃん。なんでそんなこと言うの。
わたしは余計不安になった。
そしてわたしの一人暮らしは始まった。
部屋の中はどこからも声がしないし、誰の気配もない。
たったひとりっきりの部屋は、すごくさびしくてこわい。
暗い気持ちでひとりで食べる冷凍食品はおいしくない。
お肉のソースが、鬱屈とした気分に絡みついて不快だ。
こんなことを思うのは、食べ物に申し訳ないな……。
家族から離れることでこんなに不安になるとは思っていなかった。
自分がなんでもできると疑っていなかった。
わたしは現実の厳しさと自分の未熟さをわかっていない子どもだった。
そのことを思い知らされた。
入学すると、何時にどれくらい勉強したのか、一日の過ごしかたを記入する用紙が配られた。
わたしはほとんど勉強時間を書いていない。
勉強していないのだから、勉強時間を書きようがない。
「もしかしたらわたしは高校でも勉強をがんばれないのかも」
わたしは危機感を持っていた。
入学式が終わり、入学テストが行われた。
わたしの順位は360人中9位。
十分東大を狙える成績だった。
しかし、そこからわたしは転落した。
入学式のあとの自己紹介で、わたしは自己紹介カードに
と書いた。
誰も反応しなかった。うちのクラスにオタクは一人もいなかった。
中学生のころは、わたしはズケズケものを言う人間だった。
同級生にベタベタして、”変人”というポジションを確立していた。
高校のクラスの女の子たちは、なにひとつはみださない”いい子ちゃん”ばかりだった。
ハグも不思議ちゃん流の悪ノリも、クラスの女の子たちのまえでやればきっと相手は黙りこんでしまう。
なにひとつ、わたしのこれまでのコミュニケーション手段が通用しない。
わたしは無理してほんとうの自分を抑え、普通の子のふりをした。
クラスで素をだせなかった。
クラスでいつも一緒にいた女の子は、自分からなにも話さない。
お昼を食べるとき、わたしが話題を絞りだして話しかけても彼女は反応が薄い。
わたしは楽しくおはなしがしたいのに、どうして応えてくれないの。
みんなお昼は楽しく話しているのに、なんでわたしたちだけ黙っているの。
二人で過ごす時間は苦痛だった。かといって、ほかに一緒にご飯を食べる相手もいなかった。
あのクラスのなかにわたしの居場所はなかった。
帰り道に愚痴や恋バナやボカロのはなしを語りあった友達は、ここにはいない。
「これが彼女の個性だから」とわたしを許容してくれていた学友は、もういない。
憂さ晴らしに、わたしは学生相談室で50代の男性の英語教師にボカロの曲のよさについて、伝わらないのに必死に語っていた。
おじさんに趣味の共有を求めている自分が痛々しく虚しかった。
勉強時間を書く紙が集計され、生徒の平均勉強時間が公開された。
生徒の平均勉強時間は平日3時間、休日5時間。
わたしの平均勉強時間は30分未満。
勉強するためにこの学校に来たんじゃないの。
みんなはどう勉強するかで悩みながら努力を積み重ねているのに、わたしは「勉強する」というスタートラインにすら立てていない。
なんでわたしは努力ができないの。
このままじゃみんなに置いていかれてしまう。
学校では毎日のように課題がでる。
課題をやらなきゃいけないのに、放課後の教室の机に座ってもあたまに鉛がつまったようになる。
課題のテキストを開こうとする手を進めることができない。
教室を見渡すと、同級生が集中して勉強している。
わたしも勉強しなきゃいけないのに。
苦痛から逃げてわたしは荷物をまとめ、教室をでて家に帰った。
勉強しなきゃいけないのはわかっているのに、ベッドでずっとスマホをいじってしまう。
夜になりわたしはようやく課題にとりかかった。
ほとんど寝られずにふらふらになりながら学校に行った。
それで終わりではなく、また課題がでる。
寝たい。けど、課題はやらなきゃならない。けど、やる気がでない。
ホームシックが深刻で、わたしはしょっちゅう実家に帰るようになった。
「もうつらい」
「勉強するやる気がでない」
「どうしたらいいの?」
「黙ってないで真面目に考えてよ!」
実家に帰る車のなかで母に泣き言を言っても、なにひとつ助言や慰めは返ってこない。
いままでのことが積もり積もって、わたしは泣いて母に当たり散らした。
周囲に気を許せない。
がんばるはずだった勉強をがんばれない。
ひとりきりで暮らすのはつらい。
なにもかもうまくいかない。もう引き返せない。
なんでこんなことになったのだろう。
実家のガレージの車のなかで、わたしは絶望してこの世の終わりみたいに声を上げて大泣きした。
夏休みの終わり、終わっていない大量の課題が残っていた。
実家でポケモンばっかりしてたからだ。
課題すらだせない自分がどうしても許せなかった。
わたしは1ヶ月くらい不登校になった。
わたしは保健室の先生にこう話した。
保健室の先生はこう答えた。
その後の高校生活は散々だった。
テストの点数を見る。
30点。
中学では低くても80点台を取っていた。
見たことのない点数を、死んだ目で見つめていた。
貼りだされた学年順位の紙を見る。
科目別のところに、20番台でたまにわたしの名前が載っている。
ちゃんと勉強してたら、わたしの名前が総合の上位に載ってたのかな。
でも、ちゃんと勉強できないんだよ。
2年生の終わり、模試の結果が返ってきた。
第一志望は京大にしていた。京大はC判定だった。
「全力で」勉強すれば京大に受かる。
だけど、課題さえまともにだせないわたしが京大受験の重圧を背負うのは苦しすぎる。
わたしは志望校を変えた。
ほしかった可能性が目の前にある。
それなのに、がんばれないわたしはその可能性をつかむことができない。
わたしは自分のことがきらいだった。
わたしは有名国立大学に受かった。
しかし大学でも、わたしは勉強をがんばれない。
2年生のころ、だんだん授業に行けなくなった。
うつ病と診断された。
わたしは大学を2年留年した。
大学院を受験したが、不合格になった。
浪人したが、研究計画が書けなくなって体調を崩した。
受験を断念して療養に専念するしかなかった。
その後パートで2社働いた。
フルタイムで働いて経済的に自立するのが目標だった。
しかし、パートも長続きしなかった。
やっぱり考えてしまう。
地元の高校に進学したら、見知った友人たちとマイペースに過ごす学校生活を送れたのかな。
アルバイトとかもやってみたりして。
それで、地方の大学に進学して穏やかに暮らしていたのかなあ。
大学受験に失敗すれば、わたしはもうプライドと競争と努力の苦しみから降りられたのかなあ。
そうしたら、うつにならずに済んだのかなあ。
「有名大学の出身なのに、当たり前に働くことすらできない落ちこぼれ」
わたしより学歴が低いひとでも、たいていは立派に働いてキャリアを積んでいる。
栄誉であるはずのわたしの学歴は、いまとなってはわたしを否定する刃にしかならない。
中学生のころの希望に満ちたわたしに、なんども「ごめんなさい」を言った。
現状が受け入れられないわたしは、また空想していた。
「もし過去に戻ってやり直せるなら、どうする?」
過去に戻ったら、もっとうまくやるぞ。
よし、タイムスリップしてわたし2.0になろう。
「今度こそは成功してみせる」
「具体的には?」
「わたし2.0さんはもう少しレベルが高い私立の高校に挑戦してみたいです!」
「地元の高校でまったりする願望はもういいの?」
「え? うーん、そっちも魅力的だな。どうしようかな」
「挑戦欲求を取るか、安心安全スローライフを取るか。さあ、どうする」
「あっ、でも......」
「なにか懸念が?」
「高校で、いちばん大事な友達に出会うんだよね。やり直せるとしても、そこだけはゆずれない」
わたしはあの高校でかけがえのない友人に出会った。
彼女は人格的に魅力のあるひとで、みんなから慕われていた。
彼女とはよく一緒に学校から帰った。
わたしの晩ご飯を買うのに付き合ってくれたりもした。
クラスの雰囲気が悪くなったとき、「なんかよくないよね」と言い合ったっけ。
高校を卒業してからも、遠くに住んでたけどよく彼女と会った。
真面目なはなしからくだらないはなしまで話した。
彼女を失うのだけはいやだ。
「それじゃあ、高校は変えないでおくのね?」
「はい。そしたらつぎは大学を決めなきゃ」
「どうするんですか?」
「わたし2.0さんは当時より勉強をうまくがんばれると思うから、京大を志望校にしようかなあ。でも、やっぱりそれは疲れるかなあ」
「迷ってますねえ」
「あっ、でも......」
「どうされました?」
「あの大学で、元カレに出会うので......」
「やり直したいの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「じゃあなんで会いたいの?」
「わたしを人生ではじめて本気で愛してくれたひとなので。そのひとがいなかったら、わたしは自分に価値があると思えなかった」
「だから元カレに出会わない世界線に行きたくないと」
「次はもっとマシな接しかたをして、二人でしばらく過ごしてからお別れしようと思います」
大事な友人との出会いは、わたしがあの高校に進学したことを肯定するのに十分な理由だった。
自分を本気で愛してくれたひととの出会いは、わたしがあの大学に進学したことを肯定するのに十分な理由だった。
勉強を教えるアルバイトをしていたとき、子どもから進路の相談を受けた。
本心から、わたしはそう言った。
なんでわたしは「挑戦してよかった」と思っているんだろう。
高校に進学してからのわたしの人生は失敗の連続で、およそ幸福と呼べる幸福がなかったのではないか。
なんど自分の過去に×をつけただろう。
明けない夜を、無意味で恨めしい生を終わらせたい日々を何日も過ごした。
にもかかわらず、わたしは自分の過去に背中を押してもらっている。
わたしは今日も笑顔で前向きに充実して日々を過ごしている。
「挑戦してよかった」
そう思う理由をことばにするのはむずかしい。
「自分の決断は失敗だった」と思いたくないだけかもしれない。
ただ、こう思う。
人生成功したとか失敗したとかはどうでもいい。
この人生に意味があったと思うことが大事なんじゃないか。
「選んでよかった」ことに、自分でするんだよ。
というかさ。
来た道も行く道も、真っ暗で目も当てられないひどい道だったよ。
それでも、一歩一歩もがいた。なんとなく横になる自分に嫌気がさしながら。
もう無理ってなったときは、死にかけの状態でなにもせずにやりすごしてた。あれってなにもしてないのに地獄みたいにしんどいんだよね。
なんかそんな日々を過ごしてたら、いろんな出会いや発見があった。
でも、また最悪な日々はやってきて、なにもかもを塗りつぶす。
ただ、いまを生きるのでせいいっぱいだった。
ある日ふと来た道を振り返ったらね。
まえ見たときは真っ暗だったはずの道が、ほんのりと光を放っていた。
それはわたしが選択したときに思い描いていたバラ色の輝きじゃなかったけど。
わたしの知らない色だった。水色と白と、真っ赤に燃えるような夕焼けの色が、めいめいに入れ替わり繊細にきらめいていた。
自分の道を歩いていけば、自分がした選択が「よかった」ものになっていく。
それが、いまの自分の血となり肉となっていくんだ。
自分の選択を信じて歩いていけばいい。
自分で歩けなくなったときは、誰かに肩を貸してもらえばいい。
わたしは自分が選んだ選択のなかで、せいいっぱい生きてたなあ。
失敗だらけの人生でも、その歩んできた道のりが愛おしい。
「こんなはずじゃなかった」という気持ちも、時間が経つと色が変わって「これでよかった」になるから。
わたしはこれからも、自分で選んだ道を歩いていく。
どんなに不幸に思えたとしても、持っているものを使いながら、足元に落ちているものを拾いながら。
その積み重ねが、きっと「選んでよかった」につながるから。
家の裏でマンボウが死んでるPの「クワガタにチョップしたらタイムスリップした」という歌がある。
この歌にはストーリーがある。
未来にタイムスリップした主人公が、未来の自分を探して元の時代に戻る方法を聞きに行く。
主人公に対して未来の自分が話したのが、この歌詞だ。
この歌が公開されたのが、ちょうどわたしが高校1年生だった13年前。
13年前のわたしはこの歌をカラオケで歌っていた。
それから13年後のいままで、この歌を好きでいつづけた。
ガレージの車のなかで泣いていた、13年前のわたしへ。
わたしのいまの人生の一部始終を知ったら、きっとあなたは失望するだろう。
だから、なにも知らなくていい。
それでも、どうか安心してほしい。
わたしはちゃんとしあわせだ。
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