やる気教室第6話 やる気がでないのに精神科では「問題なし」?
〈前回までのあらすじ〉
県内有数の進学校である岩晴(いわはれ)高校の1年生の成瀬波 成瑠(なせば なる)は、勉強のやる気がでなくて困り果て、学校の相談室へと足を運ぶ。
しかし、そこにいたのはネット麻雀をしてサボっている相談員のもぐちゃん先生だった――?
「やる気がでない人間のプロ」だと豪語するもぐちゃん先生の相談室に行き、なるはもぐちゃん先生からやる気の出しかたを学ぶようになる。
成瀬波 成瑠(なせば なる)
岩晴高校1年生。やる気がでず、勉強に手をつけられなくて悩んでいる。
1日の平均勉強時間は30分未満で、課題を〆切までにだせないこともある。
この歳になっても注射が怖い。
もぐちゃん先生
岩晴高校の相談員。「やる気がでない人間のプロ」を名乗っており、やる気のはなしをすることにやる気があふれている。
デスクワークのやる気がでず、相談室でサボっている。
採血のとき血を見るのがいやなので、目をギュッとつむって顔をそむける。
放課後、わたしはもぐちゃん先生のいる相談室へと向かった。
ドアノブをひねり、相談室のドアが開く。
「おお、なる。いらっしゃい。
……ってどした? なんか今日顔色悪い?」
「もぐちゃん先生……今日は話したいことがあって来たんです」
そう言って、わたしは相談室のソファに腰かける。
「……なにがあったのか話してごらん」
一度深呼吸をして、わたしは話しはじめる。
「もぐちゃん先生、前に教えてくれましたよね。やる気がでないのは、うつ状態やADHDが原因の可能性があるって。だから、一度精神科を受診したらどうかって」
「ああ、その件はわたしも気になってたんだ。こないだ保健室の先生と一緒に親御さんにも説明させてもらったよな。あれからどうなった?」
「精神科で、『あなたは健康です』って言われました」
「あっ、そうなのか? こないだ紹介した『高橋リエゾンクリニック』で?」
「いえ、『池田おだやかクリニック』です。そこの先生が親戚の友人で、お母さんが『知り合いの病院のほうが安心だから』って、そこにしました」
(うーん……『高橋リエゾンクリニック』は発達障害に詳しい病院だから紹介したんだが……)
「木を描くテストをやったんですけど、病院の先生はわたしの描いた木を見て、『健康ですね』って言ったんです」
「なる、ほかにどんなテストをやったか覚えてるか?」
「木を描くやつと、知能テストです」
(バウムテスト[※木を描くテスト]だけじゃ集められる情報が少なくないか? あくまでも理論的な解釈に基づいて患者の状態を推定するものだから、ひとつのテストを頼りにするのは、根拠として弱いよな……)
「なる、子どものころからいままでのことは聞かれたか?」
「いまの困りごとは聞かれましたけど、子どものころのことは、聞かれなかった気がします……。お母さんは、わたしがテストを受けているあいだに、いろいろ聞かれてたみたいですけど……」
「えっ、なるは子どものころのこと、聞かれてないの?」
「えっと、はい」
(生育歴は母親視点だと「普通でしたよ」って良く見せることもあるから、母親と子どもの両方からはなしを聞く必要がある……。
このまえなるに生育歴を聞いたときは、子どものころ「先生のはなしを聞いていないことがあった」、「友達としょっちゅう喧嘩になって、大泣きして教室に戻れなかった」、「ピアノの練習をサボって発表会ギリギリになって補習を入れてもらった」とか、気になるエピソードがあったんだよな……。
うーん……この病院、ちょいちょい引っかかるなあ)
「先生、わたし、自分ががんばれないのはわたしのせいじゃなくて脳に問題があるからかも、精神科に行けば改善するかも、って思ってました。でも、病院で健康だって言われて……。わたしは、ただがんばらないのを脳のせいにしている怠け者だったんですね」
「なる、それはな、そうとも言い切れないんだ」
「え? でも、病院では『あなたは健康だ』って……」
「これから、なるが『サボっているだけ』とは言い切れない理由について説明するぞ。
だけどそのまえに、いちばん重要なことを説明しておく必要がある」
「いちばん重要なこと?」
「それはな、診断の有無にかかわらず、なるが困っているのであれば、周囲の助けが必要だということだ。診断がどうのとかは、あくまでもなるを助けるためのものなんだ」
「でも、わたしは脳に問題があるわけじゃなくて、ただ怠けているだけで。みんなしんどくても勉強がんばってるのに、わたしだけ逃げて」
「なるはそのしんどい勉強に向き合おうとして、自分でなんとかしようとしてみたけどどうにもならなくて、困ってるんだろ? それはなるひとりでどうにかしなきゃいけないことじゃない。周りが手を貸してやる必要があることなんだ」
(わたしが、「助けが必要」? いいのかな、周りに甘えて……)
「それじゃあ、これからなるが健康とは言い切れない理由について説明していくぞ。
まず、1つ目。……じつはな、これは言いにくいんだが、精神科は誤診をすることがある」
「誤診ですか? 病院が?」
「まさかって思うだろ? だけど残念ながら、よくあることなんだよ」
「じゃあ、今回の診断が間違ってる可能性があるんですか?」
「もぐちゃん先生は医者じゃないから断言はできない。でも、これまで複数の病院を受診して、あとから発達障害だと診断された例はめずらしくない。
だから、診断に違和感を覚えたら、セカンドオピニオンを利用するのはアリだぞ」
「セカンドオピニオンって?」
「ほかの病院を受診して、意見を聞くんだ。そうすることで、最初の病院の診断がほかの病院から見てどうなのか、吟味することができる」
「でも、ほかの病院を受診して、また『健康です』って言われたらどうしよう……」
「まあ、たしかにこわいよな。
なる、さっきも言ったけど、病院から『健康』って言われたからといって、なるに助けが必要なことを否定されるわけじゃないからな。
そのうえで言うけど、なるは今回の診断が『誤診だったかも……』と思いながら、受け入れられるか?」
「それは……かなりもやもやします……」
「であれば、セカンドオピニオンを検討してみてもいいと思うぞ」
「うーん、でも……」
「なにか懸念があるのか?」
「なんか、自分に都合のいい診断をもらうためにズルしてるみたいだなって。後ろめたくて」
「なるほどな。じつはな、もぐちゃん先生は大学生のころ、精神医学の授業でこんなことを教わったんだ。
『ただしい診断とは、患者の役に立つ診断である』
つまりな、なるが発達障害なりうつなり、その診断を得ることでなるの生活の助けになるのであれば、それがただしい診断なんだ。自分に都合のいい診断、万々歳だ」
「では、なるが健康とは言い切れない理由、その2について説明するぞ。
発達障害ってな、じつは健康なひとと障害のあるひとにくっきりわかれるわけじゃないんだ。健康なひとと障害のあるひとはグラデーションになってる。だからどうしても、健康なひとと障害のあるひとのあいだに、『どっち?』ってひとが生まれてしまうんだ」
「そういうひとって、どうなるんですか?」
「まあ、本人たちも困るよな。発達障害のような困りごとを抱えているのに、病院では診断がつかない。かといって、健常者の基準で生活すると無理が生じる。こういうひとたちは、グレーゾーンや非定型発達って呼ばれるんだ」
「じゃあわたしも、グレーゾーンの可能性があるってことですか?」
「その可能性もありえるな」
「でも、グレーゾーンのひとは診断がつかないんですよね? どうやって自分がグレーゾーンだって判断すればいいんですか?」
「医学的な診断はつかないから、現状自分でグレーゾーンだと名乗ってしまうしかない」
「でも、グレーゾーンだと病院で治療が受けられないんですよね?」
「そこが難しいところなんだよなあ。だから対策としては、信頼できるひとに自分の困りごとを理解してもらい、どうすればいいか一緒に考えてもらうことが基本になる」
「そうなんですね……」
「でも、『自分は怠け者だ』って自分を責めるよりは、『自分はグレーゾーンかもしれない』と思うほうが、ちょっとは気が楽にならないか?」
「グレーゾーンって、診断がつくのと違って実体があやふやですけど。結局、薬が使えませんし……」
「まあ、これからどうするかはもぐちゃん先生と一緒に考えていこう。自分を責めるよりも、自分に合ったやりかたを考えていこうな」
「もぐちゃん先生、わたし、やっぱりセカンドオピニオンが受けられるようにお母さんに頼んでみようと思います。……誤診で後悔するのは、いやですから」
「おう、わかった。もぐちゃん先生はいつでも協力するからな」
「ああでも、お母さんを説得できなかったらどうしよう」
「そのときはもぐちゃん先生がどうするか一緒に考えるから、大丈夫だ」
「ああ、不安だなあ。でもとりあえず、なんとかしますね」
「おう、がんばれ!」
セカンドオピニオンをお母さんにお願いする決意をし、わたしは相談室をあとにした。
「……そう、現実的な制約のなかで、それでも前を向いて自分にできることをするしかないんだ。
がんばれ、なる」
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