いつの時代も、新家庭の経済は、限られた収入の中でいかにやりくりするかが、課題ではないでしょうか。羽仁もと子(婦人之友社創業者、『羽仁もと子案 家計簿』創案者)も、新家庭の様子を次のように書き残しています。
*羽仁もと子の著作をまとめた『羽仁もと子著作集』(全21巻)が婦人之友社より発行されています。
もう少し詳しく…… 当時のことを羽仁もと子の著作『家事家計篇』にこう書かれています。
現在、婦人之友社より発行されている月刊『婦人之友』の前身である『家庭之友』が創刊されたのは、1903年(明治36年)。上記の“日々35銭”の試みは、『家庭之友』の記事となり、その翌年に『家庭之友 家計簿』が発行されています。
『家事家計篇』には、
という文章に続けて、食費32円、主人職業費10円……と、生活費の予算(80円の内訳)について書かれています。
夏目漱石が「東京朝日新聞社」入社した明治40年で、東京朝日新聞社の社長の月俸は150円と言いますから、引用の「決してらくな暮らしではありません」は、羽仁もと子の思いでもあったのかもしれませんね。