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使い方の適不適によって、その持っている金銭の価値がいろいろに違います。

 みなさま、あけましておめでとうございます!
 世界的にもさまざまなことが起きた2022年。2023年はどのような年になるでしょうか。
 婦人之友社の創業者である羽仁もと子は、家庭からよい社会をつくるという視点を貫く月刊誌『婦人之友』を創刊し、今年で120年の節目を迎えることとなりました。2023年最初の「羽仁もと子のことば」は、明治40(1907)年8月に書かれたものを紹介します。明治40(1907)年の1月、東京株式が大暴落。これが日露戦争の戦後恐慌の始まりです。日本は、日露戦争で多額の支出があったものの、賠償金がまったくとれず、この恐慌は「明治四十年恐慌」ともよばれています。そのような社会状勢のなか、羽仁もと子が残した言葉です。

金銭に対する理想
 すべてのものはそれを利用することによってはじめて本当の価値ねうちが出るもので、且つ利用する方法が巧みであればあるだけその価値ねうちを多くするものです。例えばくらの中に立派な沢山の道具を持っていても、用いる機会がなかったら、その道具はいたずらに庫の中をふさぐだけで、ないのにも劣るくらいのことです。けれども、もしも一年に一度ずつでもそれを用いる機会があるなら、はじめてそれだけの価値が出たわけです。ひとり物品ばかりでなく金銭もまた同じことで、何ほど金があったといっても、少しもそれを利用することをしなかったなら、その人の持っている金銭には何の価値もないでしょう。またそれを使うにも、その使い方の適不適によって、その持っている金銭の価値がいろいろに違います。ほかの物品と違って貨幣には、あるいは十銭、あるいは二十銭、五十銭、一円、五円、十円というように、明らかにそのものの定められた価値が書き現わされてあるために、だれでも自分の家の一円も、隣の家の一円も同じだと思い、自分の家の十円も隣の家の十円も同じだと思っておりますけれど、よく考えてみると決してそうではありません。
 卑近な例でいえば、甲の家と乙の家とで、おなじ五十銭の金を支払い、一反のさらし木綿もめんを買ったとします。五十銭の引き換えに各々一反の晒木綿を手に入れた時には、この二つの家の五十銭は同じ価値ねうちであったのですが、その晒木綿を用いるに当たって、甲の家では不注意のために多くの無駄むだを出し、乙の家では少しの無駄もなく利用したばかりでなく、こしらえた肌襦袢はだじゅばんも保存法に十分注意が届くために、甲の家よりも倍長く保ったとしたら、はじめに支払った二つの家の五十銭の価値は大層な違いになります。
 また甲の主婦が直きに壊れてしまう玩具を二十銭でその子供に買ってやり、乙の主婦は同じ二十銭で木製の水でっぽうでも買ってやり、子供が楽しんで日々にちにち長い時間をその水でっぽうで熱心に遊ぶので、家中その間は楽に仕事が出来るということであったら、この場合における甲の家の二十銭はほとんど一銭の価値もなく、それにくらべて乙の家の二十銭は非常に価値のあるものになったといってよいでしょう。
 またある主婦は家人の生活をつめても美服をつくることに熱心し、月々二十円の衣服費を支払い、他の主婦は毎月五円の衣服費をもって、その家人のために分相応の身なりをさせているならば、前の家の二十円は後の家の五円にはるかにおよばないということになりましょう。家庭で金銭を取り扱う私たちは、最もこの点に目をつけなくてはなりません。不注意な主婦によって支配される百円の収入ある家庭は、五十円の収入のある、注意深い主婦の家庭よりも貧乏なのかもしれません。
 一家の財政の常にゆたかであるとないとは、ただ収入の多少にばかりよるものでなく、主婦の金銭を利用する手腕の巧拙によって定まるわけでございます。この事からいってみると、主人が外に出て働き出した収入は、妻の心掛けと手腕によってはじめて価値がきまるので、主人の月給はあるいは百円であるといい、また二百円であるといっても、実際それが家のために何ほど役に立つかということは、別問題になります。お互いに余裕に乏しい中流の主婦は、この心掛けをもってただ一つの銅貨でも、十分に役にたつような使い方をしたいものです。

 なお金銭のとうといのは、それによって私どものいろいろの必要を満たし、便利と幸福とをあがない得るからです。金銭そのものがただちに貴いというのではありません。たとえば医者を頼むことが出来ない病人や、金のないために立派な頭を持ちながら勉強することの出来ない人のためには、金ほど貴いものはありますまい。しかし金のあるために多くの雇人を置いて、運動不足のために身体も弱くなり、頭も愚かになる人のためには、金ほど悪いものはありますまい。近来世間の風潮が著しく物質的になり、われわれの家庭においても知らずしらずその余毒をうけていると思います。金銭を最も上手にむだのないように使う工夫をするとともに、必要以上に金銭をとうとぶことをやめて、拝金思想を私たちの家庭から駆逐したいものです。

 つけて考えなくてはならないことは、富める社会ということです。私どもはよく勤労し、よく節約し、皆少しずつでも社会に余財を献じて、私たちの住む町によい学校をほしいものです。よい公会堂、よい産院、病院、よい図書館、よい公園、よい倶楽部クラブ、よい運動場、よい消費組合、よい研究所、よいホテル、ほしいものはいろいろあります。すべての人がよく働いて相当の収入を得ることが出来、その金を上手に使って余裕を見出し、そうして皆が協力して、以上のような機関の十分に備わっている社会をつくり、多くの人たちがまた誠心まごころをもって、その各機関をほんとうに親切に皆の役に立てて行ったら、どんなによいでしょう。そうなると、はじめてほんとうの各人の家庭に、全然余財を持つことなしに、安心して生活することが出来るのです。(明治四〇年八月)

羽仁もと子著作集 第2巻『思想しつつ生活しつつ(上)』「金銭に対する理想」より抜粋

 昨年は、不安定な社会情勢の中、円安や物価の上昇などにより、私たちの生活に直接影響のある出来事が多くありました。それでも、生きていかなければならない私たちにとって、このもと子の言葉は、少なからずヒントになるのではないでしょうか。明治四十年恐慌が、一般の家庭の家計に与えた影響がどの程度であったか、わかりませんが、「一つの銅貨でも、十分に役にたつような使い方」を多くの方が模索していた時代であることがうかがえます。
 この「金銭に対する理想」の最後には、よい社会(各人の家庭に、全然余財を持つことなしに、安心して生活することが出来る)を築きたいという理想を記しているところも、羽仁もと子ならではの考え方でしょう。このほかに羽仁もと子の社会への想いを綴った「家庭は簡素に、社会は豊富に」もあわせてお読みください。
 2023年も、どうぞよろしくお願いいたします!


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