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「家庭は簡素に社会は豊富に」

 今から100年以上前に、婦人之友社の家計簿は生まれました。私たちにとってはるか昔のように思いますが、その時代を生きた羽仁もと子の視点は決して古いものではなく、今にも通用する考えを持っていました。特に一家庭の経済という視点から、それは結果として、国の、社会の礎となることを以下のように書き残しています。

家庭は簡素に社会は豊富に

 ぜいたくな生活と貧弱な生活は、これからの生活ではありません。ぜいたくな生活をする人たちが、物資を消費しすぎるために、一方に乏しすぎる暮らしをする人の多くなる社会は、理想の社会ではありません。勤労のない人と働きすぎる人とのある社会は、理想の社会ではありません。家庭の中でも同じことです。今日の富と能力の不平均な社会をよくするのには、根本的に社会組織のあらたまることを必要とするのでしょうけれど、一般社会のあらたまるのは、個人および各家庭の思想と実際とが、だんだんに目ざめだんだんに正されていくこと からはじまって来なくてはなりません。

 力のあるものは、われらすべての大きな家庭、すなわち社会を、各自の小さい家庭を経営すると同じ心で経営し、また発達させていかなくてはなりません。お前たちの住んでいる町の道路はどうか、下水はどうか、飲料水はどうか、小学校はどうか、集会所はあるか、公園があるか運動場があるか、商人はよい品物を正当な値段で売っている か、お前たちの愛する国家が借金していないか、国民みなその生計(なりわい)をたのしみ得るまでに充実しているか、学校が勉強したい子供たちを収容するのに十分であるか、その設備はその教師はと、一々問うものがあったら、われらはなんと答えることができましょう。われらおのおのの小さい家は簡素でありたい。そしてわれらの住む社会という大きな家庭は、じつに行きとどいた豊富なものでありたい。

 以上のような社会は、いうまでもなく富のみではできません。多くの心と勤労を必要とするのですから、理想の新社会を心に描いているならば、誰でも必ずその建設創造にあずかり得るはずであります。

 家事も家計も、おのずからにして、われらおのおのが知らずしらず以上の新社会を現出する有力な一人一人であり得るところの道でございます。

羽仁もと子著作集 第9巻『家事家計篇』より抜粋

 今を生きる私たちは、日々の生活に追われがちですが、それぞれの家庭には、こうありたい、こうしたいという願いがあるでしょう。わが家の経済は必ず社会の経済に通じていて、幸せな家庭を願うと同時に、それは社会の願いへとつながっているのだと思って生活をすることが、大切なのだと羽仁もと子は語っています。そこから生まれた『羽仁もと子案家計簿』は、今も多くの方に愛用されています。
 ただの出納帳ではなく、家計簿はそれぞれの家庭、社会の願いを乗せたものでありたいですね。



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