平凡な人生には、平凡なきっかけがふさわしい

平凡な人生というものがある。
小中高大と淡々と卒業し、平凡に会社員をやっている。

何か劇的な思い出はと問われれば、一つ。
小学生のおり、誕生日に犬の落とし物を踏んだことくらいか。
友人たちはみな同情してくれた。彼らもまたその不快さをよく知っていたから。

そんな掛川計という男が、小説家を目指し筆を執るに至ったきっかけは何か。
僕はたしかに本の虫だったが、それは書く側にまわる理由にはならない。

それが、彼らを思い出すことになる端緒だった。
本好きのD氏、文芸愛好会長のS氏、Perfumeのダンスが上手いY君、などなど。

平凡な人生には、平凡なきっかけがふさわしい。何人もの人々と、いくつもの小さなきっかけだ。

僕の本棚

中学生当時、僕は銀河英雄伝説にハマっていた。
本好きの友人の兄のD氏の「君はきっとこれ好きだよ」という言葉は正しかったのだ。

銀英伝が描き出す戦争のきらめきにすっかり魅せられた僕が次に手を着けたのは、祖父の本棚にあった坂の上の雲だった。そういうわけで、僕の本棚は、シャナや禁書目録を読む同級生たちとはすっかり別の色になってしまった。

チョコレイト・ディスコ

僕の通っていた名の売れていない中高一貫の男子校には、非公認の部活動、つまり愛好会があった。緩い学校だったので、放課後の教室を使って勝手に部活動をするぐらいは許容されていたのだ。

すでに科学部に入っていた僕が、文芸愛好会を掛け持ちし始めた理由は、今となっては藪の中だ。
文芸愛好会の出していた季刊の小説誌を手に取ったせいかもしれない。

手に取ったというか、押しつけられたと言うべきか。昼休みだかなんだかに、モノクロのコピー本を山ほど抱えた同級生のYが僕にも一冊よこしたのだ。
彼はPerfumeのダンスが上手かった。学園祭で彼は仲間を集めてダンスを披露し、観客の好評を呼んだ。

その小説誌に何が書いてあったかは定かではない。残念ながら実家にある。だが多分こう思ったのだろう。「僕にもかけそう」と。

愛好会の立ち上げ人であるS氏は二歳上の高校二年生だった。社交的な人で、僕が入会したことをとても喜んでくれた気がする。

それからの放課後、僕はYのウォークマンからエンドレスリピートするチョコレイト・ディスコをBGMに、三題噺やらリレー小説に熱を上げた。
Yは踊っては執筆する、を繰り返していた。

八十枚と一枚

転機が訪れたのは、僕らがくだらない三題噺を書いたり、季刊誌向けの原稿の品評会で馬鹿騒ぎをしていたときだ。中学と高校の境目の春休み。

これまた同級生のCが、「電撃文庫大賞に向けて小説を書いているから、読んで欲しい」と持ち込んできたのだ。
内容はほとんど忘れてしまった。ただ、ヒロイン愛に溢れた作品だったのは覚えている。
彼がそれを書き上げたかはわからない。少なくとも、その年の一次通過作品にタイトルはなかった。

ここで多分僕はこう思ったのだろう。「自分でもかけそう」と。思い立ってポメラ――折りたたみ式の小型ワープロだ――を買った。

ポメラの小さなキーボードで書いた近未来戦記は、2010年GA文庫大賞で一次落ちした。高一の頃だ。規定下限にぎりぎり届かなくて、締め切り日にヒイヒイ言いながらシーンを水増ししたのを覚えている。

A4用紙八十枚を腹に抱えた封筒はずしりと重く、帰ってきたのは薄い封筒に入った選評が一枚。その紙はなくしてしまったけれど、優しい言葉で「ミリタリーへの熱意は感じる。でもエンタメとして成立させるためもっと頑張りましょう」と書いてあったはずだ。

サタデーナイト・スペシアル

公募には落ちたが、文芸愛好会での活動は高校二年になるまで続いた。自分が編集作業をした号のデータが、PCに残っている。

高校二年になってからの僕は、科学部の仲間たちと共にTRPGという遊びを覚えた。
主に遊んでいたのはサタスペというゲームで、漫画ブラックラグーンに出てくる木っ端キャラを演じるような作品だ。

言い出しっぺゆえにGMを務める事の多かった僕は、そこで執筆欲を発散させるようになり、しばらく小説書きとは疎遠になる。

サタスペのロングキャンペーンに参加してくれたM君は、文芸愛好会時代の僕の原稿をじいっとよんでは「面白いじゃん」と言ってくれる奴で、寡黙な中国人拳法家キャラを使っていた。
彼は普段は静かだが、喜ぶと饒舌になる。そんな様子が見たくて、革命旋風脚を使う拳法家との対決シナリオを書いて、見せ場を作ったりしていた。

他人の面白いは僕のつまらない

そんなTRPG生活は大学に入ってからも相変わらずなのだが、もう二つ転機があった。SF研究会に入ったことではない。
研究会はボードゲーマーのたまり場で、棚にあるSF小説の埃を払ってやるのは僕くらいしかいなかった。

ひとつは教養科目で「小説史」という講義をとったこと。
磯﨑憲一郎先生という小説家の方が小説史を語ってくれ、最終課題は掌編小説だった。勧められて読んだガルシア・マルケスの族長の秋は、大統領宮殿を取り巻く懈怠がひどく印象に残っている。

もう一つは、高校時代の友人A君の家で、月一で映画鑑賞会をするようになったこと。彼もTRPGのメンバーである。
三、四人でツタヤのDVDをたくさん持ち寄って、その中からくじ引きで映画を三本見る遊びだ。僕は爆発のある映画の担当を自認していた。

他人が面白いと思う作品に触れるのは、面白さを客観視するという枠組みを作る上で役に立ったと思う。僕がみじんも面白いと思えないような作品を、磯崎先生やA君は面白いという。
でも、彼らの熱っぽい語りを聞いているうちに、なんとなくわかった気がしてくるのだ。

骨と頭

今筆を手にしている直接のきっかけは、日本SF作家協会主催の「小さなSFコンテスト」だ。これは間違いない。
決められた書き出しで一万文字を書くというコンテストのフォーマットは、執筆再開のきっかけを求めていた僕にぴったりだった。

PCには、あらすじ冒頭数十ページだけの長編小説の死骸がいくつも転がっていた。
大学時代の僕の脚本理論のなさが、長編小説を書く手を止めていたのだ。

一万文字なら書ける、そう思った。
作品は二次選考で落ちたが、「ドラマがある」という評価に気を良くした僕は、もう一度長編小説を書こうと決めたのだった。

終わりに

そこから先はご覧の通りである。細々した話はこちらの記事に譲る。
三幕理論やらの本を読んで、とりあえず長編が書けるようになった。

平凡な人生には、平凡なきっかけがふさわしい。
つまり、ドラマチックでなくとも、いくつもの繋がりが、今の僕を作っているのだ。文字にしてみて、改めてよくわかる。

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