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「読書って何のためにするの?」に答えるとすれば。

久しぶりのテキスト投稿。気づいたらnote始めてから3ヶ月以上経とうとしている。光陰が猛スピード過ぎて誰か取り締まってほしいレベル。

こんな久しぶりに何を書こうと思ったかといえば、「読書について」というありきたりすぎるテーマ。

今さら自分なんかが読書の意義などについて高説を垂れるつもりはないのだが、最近改めて「なんのために読書するのか」という問いに対するひとつの答えが自分なりに明確になってきた気がするので、シェア欲求を満たすために文章にしたためた次第。

ちなみに、極論読書する目的なんてなんでも良いと思っているほうではある。楽しいから、好きなあの人が読んでいたから、モテたいから、単なる暇つぶし……。なんだって来るもの拒まないのが本の良いところ。

そのうえで、あえて答えるなら、という話。

とくに最近の社会情勢やSNSでのコミュニケーションのあり方を見ていて思うことは、「単一の情報によって、集団がどんどん近視眼していっている」ということ。

新聞やテレビのニュースは、判を押したように同じ数字の上がり下がりを憂鬱げに報告するばかり。明るいニュースは最年少棋聖の武勇伝くらい?

とくに怖いのはSNS。SNSっていろんな意見が飛び交う多様性の場でもあるけど、同時に根も葉もない流言が権威を得て肥大化していく全体主義の温床でもある。少数が多数に呑み込まれて疲弊していくという民主主義の良くない部分が結晶化したような構造のなかで、さも「言論の自由」に守られているかのごとく倫理観も人情も無視して流言が飛び交う。

そして二次元の場を抜け出して現実を見たら、眼前に広がるのは「自粛自粛」の閉塞ムード。

端的に言って、やってらんない。

こんな状況だと、誰だって思考が固定化していく。近視眼になっていく。だって新しい情報や雰囲気を手に入れられる「新しい世界」に行くことが許されないのだから。

物理的に「新しい世界」に行くことができないからSNSのようなバーチャルな仮想世界に逃げ込む。でもそこで待っているのは「現実世界の仮」としての雰囲気であり、コミュニケーションである。どうしたって「現実世界から逃れてきた私」という属性は拭えない。むしろ逆説的に現実の辛さが際立ってしまうということにもなりうる。

もちろんそうじゃない人はいるし、そういった閉塞感に囚われないフラットなコミュニケーションがされている空間はある。でも、どうしたって目立つのは「炎上」している情報だし、良くも悪くも人が我先に意見したがるのは心浮き立つ楽しい情報ではなく、怒りや挑発、中傷によってどぎつく彩られた情報である。

じゃあこんな状況下で、真に「新しい世界」に旅立たせてくれるものはなんだろう?

それは、端的に言ってしまえば「時間的、空間的に現在から切り離されたところ」である。

社会に蔓延する雰囲気に影響されず。人間関係や生活のあらゆる束縛からとりあえずは開放された場所。

そう、そんな場所のひとつが「本」なのである。

本って、「現実の文脈から一度離れて新しく思考するためのツール」だと思っている。

たとえば、江戸時代の冴えない浪人を描いた時代小説を読むとする。

そのとき、自分は「令和2年7月21日に存在する20代後半の日本人男性」という定義から離れて、「元禄9年、恩人のため仇討ちを決意する30代の東北浪人」として新しく再構成され「思考し直す」。

読者が令和にいようが、昭和にいようが平成にいようが遠い未来にいようが、その小説を読んだ瞬間「読者の世界」から「元禄9年の武士の世界」にワープできる。

これは小説でも評論でもエッセイでも図鑑でもなんでもそうである。

時間と空間を飛び越え、新しい世界で再構成される。再構成された自分として考え、感じる。

そして自分はこれが、本が持っている最大の価値だと思っている。

ちなみに類似した効果をもつものに映画があるが、映画と本だとまた少し「世界の感じ方」のニュアンスが違うと思う。

映画は視覚、聴覚双方に訴えかける非常に情報量が多い媒体なので、「すでに存在する世界を垣間見る、受け取る」といった印象が強い。だからこそ没頭したときの脱現実感は強く、具体的で濃密な思考の発散、ストレス解消につながる。2時間~長くても3時間ほどで集中してみる事が多いので、より「非日常感」が強いメディアといえる(自粛期間にこぞって映画配信サービスが流行ったのもうなずける)。

いっぽう本は文字を通して「自ら世界を知りに行く、あるいは自ら世界を構築する」メディアである。本は、ぶっ通しで最初から最後まで読むということもあるにはあるが、基本的には空いた時間でちょこちょこと読むという方が多いだろう。なので日常と本が提示する「新しい世界」が交錯し、化学反応を起こすような瞬間がある。

「本に書いてあったあの言葉、もしかしてこのことを言っていたのかな。」

本と親しむと、こういう瞬間が時たま訪れる。そしてこれこそが現実世界にブレイクスルーを起こす「本の魔術」であると思う。

……まあ、よく考えたら映画を見たあとにもそういう瞬間はあるのだけれど。優劣ではなく、相対的にそういう性質があるのでは?という問題提起と捉えてほしい。

自分は、曲がりなりにも小さい時からそれなりに本を読んできていて、だからこそ本が持つ価値に全幅の信頼を置いているフシがある。だからここで述べたことが必ずしも誰にでも当てはまるとは思わないし、本以外にもこういう価値を持ったメディアはあるに違いない。

でも、冒頭の問いに対しては、確実にこう答えられる。

「読書とは、一度現実から離れて新しい世界へ旅立つことであり、それは翻って現実の壁を破壊するためにするのである。」

とくに今の社会においては、確実に未来を左右する行為のひとつであると思っている。

「本好きで良かった。」

そう思える日が、みんなに来ますように。



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