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CDジャケットの美学#2-小田和正『自己ベスト』から学べること

小さい頃、小田和正が好きだった。

CMで流れる楽曲を聴いて、子供心に「この人の歌声は唯一無二だな。」みたいなことを思っていた。

人生の喜びと悲哀を率直に歌い上げる、歌手としての真髄がそこにあった。

だが、思春期に入ってからはほとんど聴くことはなかった。

まあ、思春期男子にはよくある「日常の素朴な幸福をストレートに歌うことがなんだか気恥ずかしい」みたいな感情をこじらせたのが原因だと思う。

正直に言うとまだその病気が完治していはいないので、今の今まで積極的に聴くことはなかったのだが、CDジャケット研究という文脈で自分の音楽視聴遍歴をたどっていたときに、自分がCDジャケット好きになった大きなファクターの一つとして小田和正の『自己ベスト』というアルバムがあったことを思い出した。

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懐かしいなー、このジャケットイラスト!

たしか初めて出会ったのは小3、4くらいの時期だったと思うが、食い入るようにこのジャケットを眺めていたことを覚えている。

しかし、パット見は街の風景を描いたポップな絵という印象で、なにか際立ってデザイン的に新しい要素というものは見当たらないようにも思える。

いったい幼少期の自分はこのジャケットのどこに食い入るように魅了されていたのか。

それを紐解いていく過程で、色んな意味で「大人になった」自分が忘れてしまっていた感受性を思い出してきた。

今日は、小田和正のベストアルバムから始まるそんなお話を書こうと思う。

神は細部に宿る。

突然だが、小さい頃『ウォーリーを探せ!』とか『ミッケ!』とかにハマらなかっただろうか?

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どちらも、恐ろしいほどディテイルにこだわって描かれた絵(『ミッケ!』の場合は写真)の中から、ある特定の対象を探し出して遊ぶ、というコンセプトの絵本なのだが、これがもう面白いのなんの。

とくに『ミッケ!』は小学生のころ友だちと、どっちが早くお題に沿った探しものを見つけられるか競い合いながら楽しんだものだ。

なぜ今この2冊を紹介したか。

それは、これらの絵本と小田和正の『自己ベスト』のジャケットに通底してする素晴らしい哲学へと導くためである。

それこそが、

God is in the details. ー神は細部に宿る。

の哲学だ。

たとえば『ミッケ!』のなかの写真は、ただ単にテーマに沿った探しものゲームをするための素材というだけでなく、それ自体が想像力を喚起させストーリーを楽しむための「作品」になっていると思う。

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(画像はこちらから拝借)

見ている側は、この中の登場人物たちが巻き起こすストーリーを想像してみたり、自分自身がこの世界に入っていって、いろんなイベントに遭遇する場面をイメージして、ワクワクするのだ。

「この男の人は、自転車に乗ってどこに向かおうとしているだろう?」

「車に運ばれているボートは、これから海に乗り出すのだろうか、それとも修理に出されるのだろうか?」

そんなことを考えながら、この何十センチかにすぎない四角い空間の中で無限の世界を作り出すのだ。

考えてみれば、子供のころはどんなものにもストーリーを感じ取り、自分とその対象をミックスさせることが容易にできたと思う(「大人」になって困難になってしまった能力の一つである)。

『ミッケ!』や『ウォーリーをさがせ!』がすごいのは、そういう子供の想像力を200%喚起するための世界の作り込みを怠らないところだ。

瑞々しい子供心は、そういう丹精込めた細部への作り込みに敏感に反応して、その作品への信頼のもとに想像力をフル稼働させる。それが作品への愛になる。愛はクリエイティビティをさらに掻き立てる。

文章のないただの「絵」の集まりの本が、無限のクリエイティビティを秘めた世界になってしまうのだ。そう考えると、本当に秀逸な本だ。

ちなみにこの2冊は没頭力と想像力を養う知育絵本として掛け値なしに最高の部類だと思っている。自分に子供ができたらぜひ一緒にやりたいなー、とか密かに思ってたりする(子供にやってほしいコンテンツまとめ、いつかnoteで書きたい)。

翻って小田和正の『自己ベスト』を見てみると、この作品にも『ミッケ!』を見ていたときに感じた「神は細部に宿る。」の哲学が隠されていると思う。

ジャケットイラストをよーく見てみると、ただの街の絵に見えたイラストの中に、様々な登場人物たちのストーリーが描かれている事がわかる。 

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丹精込めた作り込みの精神が伝わってくる、職人芸である。

『ミッケ!』を見たときに掻き立てられたものと同じ種類の想像力が、このジャケットの中に没頭していくと生まれてくる。

「男の人が飛ばしている紙飛行機は、たぶん恋文で、届くはずもない遠い街の恋人にむけて飛ばしてるんだろうな。」

とか、

「麦わら帽の男の人は、余生を故郷の町で穏やかに過ごしている人なんだろうな。」

とか、いろんなストーリーが浮かんでくる。

『ミッケ!』や『ウォーリーをさがせ!』ほどではないが、細部の描き込みを怠らない丁寧なものづくりの姿勢、そしておそらくは作者自身が作品に込めた愛着によって、「ただの街の絵」は「無限のストーリーを秘めた世界」へと昇華していく。

むしろ、情報量が限られているからこそ、この絵の外にも広がっているであろう世界への想像力もいや増すというもの。

海の向こうにはどんな人が住んでいて、どんな物語が待っているのか。

そんなことにも思い馳せられる。

ちなみに、このCDの裏面がまたすごくて、

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このように表面で描かれている街の「夜バージョン」になっている。

これ、安直な発想に思えるけど、とてもニクイ演出だなと思う。

絵の世界が「息づいている」ことが、朝と夜のリズムを作ることでより確かに感じられる。

昼間見た人たちが、夜はどんな場所にいて、どんな物語を紡いでいるのか。「時間」という軸でも想像力を掻き立てる、とても秀逸な演出だ。

楽曲とジャケットの融和性

ちなみについでで言うと、イラストの中の街の至るところに書かれているセリフや看板の文字は、このアルバムに収録されている楽曲のタイトルである。

つまり、音楽とジャケットの中の世界がシームレスに溶け合っている。

それによって、ジャケットイラストへの愛着⇆音楽への愛着という相関の構図が生まれ、イラストを好きになればなるほど小田和正の音楽も好きになり、小田和正の音楽を好きになればなるほどジャケット、つまりアートワークとしてのCDそのものも好きになっていく、という好循環が生まれていく。

どこまでもニクイ作り込みだ。

奇しくも、ジャケットの中心に描かれているのは東京タワー。

だからこの街は「過ぎゆく過去の東京」へのノスタルジックな再現なのかな、とも思う。

もちろん制作当時にそんな意図はなかったにしても。

見る人や、時期によっていろんな解釈があっていい。

それも、作品としての魅力の一つだ。

変わるもの、変わらないもの

今あらためて『自己ベスト』の中の曲を聴いてみると、少年の頃には見いだせなかった魅力で満ち溢れているなと改めて実感する。

歌にしなければ忘れてしまうような日常の些細な幸せ。

大切な人への純粋な感謝の思い。

そういうことを感じにくくなってしまった今の自分。

いろんなことに思い馳せながら、でもたしかに素晴らしい作品だという思いは変わらない。

今や、小さい頃あれだけ眺めつくしたジャケットイラストは、スマホの中の4センチ四方にも満たない小さい小さい画像になってしまっている。

けれど、曲を聴けばすぐに思い出せる。

あのとき、ワクワクしながら眺めたジャケットの美しさを。

みずみずしい感性で想像した、二次元の街の中のストーリーを。

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