『クライマーズ・ハイ』に怒りを込めて


#読書の秋2022

 『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫 文藝春秋)を読み終えたとき、最初に沸き上がったのは怒りだった。

主人公「悠木」は地方新聞社の全権デスクとして「日航機墜落事故」に取り組んでいく。

その中で主人公は二つの側面を見せる。
一つは周りに反対されても決行する決断力。もう一つは、直前でやめてしまう臆病さ。どちらも周りの人を巻き込み大事になっていく。
自分はこの主人公にたまらなく怒りを覚えた。なぜそこでやめるんだ。小説の主人公とは思えないその精神的弱さ。そして、その弱さを美化するような、無意識の正当化に飽きれてしまう。

しかし、しばらくしてその怒りの根源に向き合ってみると二つのことが分かった。

一つ目は著者の文章の力である。自分の怒りは主人公に向かっているものの、著者には決して向かっていない。それはつまり、それだけ主人公「悠木」像がはっきり浮かび上がっているということであり、それだけ著者の文章の組み立て方がうまいということだろう(ここで断言しないのは自分が文章の素人であり、そのすごさを具体的に言語化できないためである)。
主人公の意思の弱さ、そして一本筋を通すのではなくふらふらと悩みながら進む様にあまりにもリアリティーがあるからこそ、まるで悠木にあったように怒りがわいてくる。
そのリアリティーは悠木だけではない。対立する同期や、新聞そのものに関心の薄い社長、幼いころの因縁がある上司などあまりにもリアルな「目の上のたんこぶ」がそこかしこにちりばめられている。それに加え、全国紙との勝負、組織構造に屈する姿、報道の意義など社会的問題もどっしりと土台にあり、一気に読み切るにはあまりにもリアルな内容だ。

もう一つの怒りの根源、それは悠木が自分に似ているということだ。自分の中に信条を持とうとしながらも、それを揺るがす困難。そして、それを盾にして「しょうがない」と許そうとする甘さ。その根本にある憶病さなどが、自分の中の弱い部分と一致する。自分は主人公と年が離れている。しかし、それでも共感できるほど、これは誰にでもある弱みなのではないだろうか。
この解決法は意外とシンプルだ。それは勇気を出すこと。しかしそれができない。正確には途中まで決断できるがある段階で急に我に返り憶病になる。そこで勇気がでない。これがいわゆる「クライマーズ・ハイ」として、我々の人生に重くのしかかる。そのもどかしさを知っているからこそ、悠木に怒りがこみあげてくるのだ。そして、その怒りは我々が生活の中で繰り返すちょっとした決断に対して勇気をくれる。その勇気はいつしか大きな決断を支えてくれるだろう。

この本はあまりにもリアルに描かれている。それはつまり、我々に何かの教訓を残すわけでもなく、ただただもどかしさ、無力感をありのままに書き、それをありのままにぶつける。だからこそそれに対する反応は決して幸せな気分ではない。しかし、この本を読んでよかったとは断言できる。世の中の人間が持つ弱さがありありと言語化されているからだ。
そして、それを真正面から食らうことで、自分への怒りと変える勇気をもたらしてくれる。

ちなみに、今回あまり内容には触れなかったが、内容としては「日航機墜落事故」を報道する地方新聞の奮闘と主人公の過去の清算ということになる。この主人公は「日航機墜落事故」に常にむきあう。だからこそ、実在するこの事故について一度調べておくことを強く推奨する。自分はこのニュースを生で見たわけではなく、あくまで文字と写真のみで知っているだけだが、それでもその衝撃は大きかった。その衝撃のまま読むと悠木の気持ちにより共感できるだろう(なお、調べた場合、若干のショッキングな写真、文章を見る危険性がある。ご注意を)。