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発達グレーゾーンという私を受け入れた瞬間。前向きに生きていくために

 こんにちは、小野 香(23)です。私は今年の9月に「発達障害ボーダーライン」と診断され、半年強勤めた会社を辞めることにしました。

 今の会社は大学卒業前に必死に就職活動をしたのち「海外駐在」という夢をもとに選んだ場所でした。商社は未だに男性が多い世界ですが、この会社は女性の海外駐在員を育て、世界にビジネスを広げていこうという非常に先進的な会社で、”世界を飛び回る商社ウーマン”になりたかった私にはピッタリでした。

 キラキラした気持ちでスタートした社会人生活でしたが、結局半年強で辞めることになってしまいました。比較的順風満帆でこれまで生きてきた23年間ですが、なぜこうなってしまったのか、私の体験談を書いていきたいと思います。

成績よくても「役立たず」

 小学校からもともと成績は悪くないほうで、高校は地元の進学校でまさかの首席入学でした。式で代表スピーチを読んでそれはそれは大変名誉なことだったなぁと思います。大学は一応私立名の通った大学へ入学し、学部も大学の中では一番入学が難しいところだったので、大学のサークルなどで自己紹介をすると「うわ~頭いいね」と言われることが多々ありました。

 私は自頭がいいわけでもないので最初は下の方にいることが多いのですが、もともと勉強は好きだったので要領悪いながらになんとか努力で補って最後には這い上がっていくタイプでした。そのため自分で秀才とか思ったことは一度もないのですが、「頭が悪い」とも思ったことはありませんでした。

 しかし、自分が「頭が悪い」のかもと感じたのは大学生活をスタートして半年経ってイタリアンのバイトを始めたときでした。お客様が来てから最初に水を出し、注文を取ったらフォークなどを準備しなければいけないのですが、どこかの工程が必ずと言っていいほど1つ抜けたり、注文を取り間違えそうになったり、お会計でも数字を間違えたりとミスの連発でした。

 覚えが非常に悪く何度もミスを繰り返すので、しまいには店長に「役立たず」と言われる始末。あまりにショックな一言だったので半年足らずで辞めてしまいました。そのあとはデパートのお惣菜屋さんで働き始めたのですがここでもミスは絶えませんでしたね。なんとか留学をまたいで2年程続けたので、一応一通りのことができるようにはなっていたのですが、お弁当を作るという仕事内容は最後までできるようになれず、ある人に出来が悪すぎるせいか嫌われてしまい、居心地が悪くなりここも辞めてしまいました。

多種類のおかず→入れる順番を正確に→狭いテーブルでおかずを整理しながら→綺麗に小さなスペースに入れていく(素早く)というこの工程作業が最強に遅くてもう毎回パニックになっていました。

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(こんなの作ってました)

 しかしこのときは単純に”なんでこんなに遅いんや~”ぐらいにしか考えていませんでした。

社会人になってから顕著になった「ケアレスミス」

 楽しい国際色にあふれた大学時代を過ごし、卒業しました。そして機械商社で”商社ウーマン”を目指して働くことになり、海外駐在前提で国際営業部に配属されました。駐在前提で配属されたのですからそれはもうやる気と希望に満ちていました。しかし国内にいる間は貿易事務がメインとなるので、書類を作ったり電話応対をする業務が主な仕事でした。

 初めのうちは社会人一年目なのでミスは多めに見ていただけました。「誰にでもあるよ~」なんて言われ、まぁそうかもしれないと思い、とりあえず自分なりにもメモをし、To Do Listでやることを整理するように心がけていました。

 そうして9月になり、半年経ったにも関わらず電話応対は一向に慣れず、決まり文句ならすらすら出てくるのですが、実際に電話だけで相手の話を聞いて内容理解することが苦手でした。話している間は理解しているつもりでも、切った後に「あれ、なんだったっけ。」となったり、メモを見てもぐちゃぐちゃなので内容が本当にあっているのか不安なことが多々ありました。

 また、会議や打ち合わせでも相手の話を真剣に聞いているつもりなのに、気が付いたら声がただの音になって内容が全く頭にはいってこないこともありました。書類やメールのミスも減ってはいるものの同期と比べると目に余る多さでした。見直ししてその時は問題ないと思っても1分後に間違いを見つけたり、最悪見直し自体を忘れることがありました。ミスをなくすための確認作業なのにそれを忘れるのですから「なんて救いようがないんだ自分は...」と責めるようになりました。

自己否定と劣等感を感じる日々

 今まであまり挫折という挫折を味わってこなかった私ですが、同期と比べて自分のできなさを毎日突き付けられ続けると、当然のことながら自信はなくなりました。私の上司はそんな私を絶えず励ましてくれ、できない私を熱心に指導してくださりました。とっくに呆れられてもいいはずなのにちゃんと見てくれる上司の存在が嬉しくて、とにかく毎日辛かったですがなんとかこの上司の期待に応えたいという想いで続けていました。

 それでもやはり劣等感を感じる毎日に心は疲弊していきました。真面目に取り組んでいるはずなのになんでこんなにできないんだろう、と疑問に思ってネットで調べるとそこには「大人の発達障害」という記事がたくさん。

 あまりに自分に当てはまるのでいっそ病院に行って診てもらおうと決断しました。病院に向かう途中自転車を泣きながら漕いでいたのを覚えています。検査を3回受けることになり、3回受けると「発達障害ボーダーライン」との結果が。IQは低くないのですが想像力が異常に低いのと、知覚統合が弱いとのこと。目で見て理解するというのが苦手で、先読みして行動するような想像力に欠けるため、書面上でのミスが多かったり、想定外のことやキャパ以上のものになるとパニックになってどうしたらいいか分からなくなります。

 納得というより、「そーなんだ。」ぐらいにしか思わなかったのが最初でした。なにせ23年間それで生きてきたのですからいきなり発達グレーゾーンなんて言われても実感が湧くはずありません。それにそうだからといってミスが許されるわけでもないので結局家族にだけ話し、職場の人には誰にも話しませんでした。

仕事を辞めるに至るまで。「自分の気持ちに素直に」

 誰にも話さず仕事を続けていたのですが、やはりミスが続いていたので最終的にぽつりぽつりといろんな人に打ち明けるようになっていきました。一番初めに話したのは直属の上司で、いつも励ましてくれたみたいに「小野のミスなんてとっくに計算に入ってるから、大丈夫だ。」とおっしゃってくださいました。

 それからモチベーションが上がったり下がったりの繰り返しだったのですが11月中旬についに限界がやってきました。その頃は週に2回は母に仕事後に泣きながら「なんでこんなに頑張っているのにできないんだろう。」と電話していました。もうすべてが嫌になっていって辞めたい、と思うようになりました。ミスするのがあまりに怖くて仕事をしていても生きた心地がしませんでした。

 外国人の友人に相談すると決まって「辞めちゃえば~??(笑)」という感じで、会社の人も含めいろんな人と話しました。辞めるかどうか、かなりグラグラしていたのですが例の上司から「自分の気持ちに素直になれ」とメッセージをいただき、最後はその言葉に背中を押され辞める決断に至りました。実は辞めることを一番初めに伝えたのもこの上司だったのですが、きちんと話せないまま上司が異動になってしまったのです。

 気まずいままでは嫌だったのでお話しする時間をいただきました。そこで「俺本も読んだよ~ちゃんと勉強したよ~やっぱりミスマッチングだったんだなぁ。悲観することはない。自分の興味が持てるところで頑張ったらいいと思うよ、うん。」とおっしゃってくださいました。

 その瞬間なんとなく府に落ちたんですよ。あぁ、やっぱここは私の土俵じゃなったんだなぁ、それでもってこうやって私のために勉強までしてくれた人もいるんだ、よし、次でちゃんと頑張ろう、と。そしてそれまで障害持ってるなんてあまり意識してなかったのですが、そんな自分を受け入れたのもこの瞬間でした。

何とかなるじゃなくて、何とかする。

 これから何をするか、頭にはプランを描いていますがまだはっきりしていません。はっきりするまで公表はしないでおこうと思います(笑)ただ友人の1人に「You are going to make your decision right, not others. 」と言われ、まさにその通りだと思いました。私の決断が正しいかなんて他人が決めることじゃないんですよね。だから余計後悔しないためにも何とかしよう、と思いました。

何とかなったときにまた記事にしたいと思います。(笑)


最後にこんなつたない文章を読んでくれた方、ありがとうございます。

少しでも誰かの役に立てたらなぁと願います。

 

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