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不自由を作ってしまう自由

今日は久々に晴れ間が見えましたね。
しかし、帰宅時に一瞬雨に降られ、自転車で爆走するも濡れてしまいました…。
折り畳み傘をいつも鞄に入れるのを忘れてしまう…


今日は、この間Twitterのトレンドに上がっていた、漫画誌「りぼん」の付録問題から思ったことをちょこっと。

「りぼん」が、結婚情報誌「ゼクシィ」とコラボして、付録に婚姻届をつけるとのこと。
私は、ちゃお→なかよし の流れでりぼんを踏んでこなかったのですが、りぼんってすこしお姉さんなイメージありますよね。
最近は、少年漫画ばっかり読んでいますが…

それはいいとして。
トレンドを見ると、まぁ思っていた通り、
「まだ結婚が女の子の夢とでも思っているのか」
「結婚観の押し付け」
とかとか。わからなくもないんです。

いまや、生活だって何だって多様化してきて、沢山の選択肢を私たちは持っていると思います。
結婚の形一つとっても、別居婚や、事実婚だったり、これから先は夫婦別姓だって何らかの形で進むだろうし、パートナーシップやら…
沢山あっていいんです。

だったら、今まで【一般的】だった結婚観もその選択肢の中にあってもいいんじゃないか。
そんなに否定する理由は何なのか…
と思ったんですよね。

昔と比べて、女の人が専業主婦で生きていける時代ではないかもしれないけど、きっとまだ結婚に夢を見ている女性や、結婚して素敵な家庭を作ろう!って思う男性もいると思います。
それはその人の夢でいいじゃないですか。
憧れ、いいじゃないですか!素敵だなぁって思います。

それに、とある概念に無関心だったり、悲壮的、マイナスイメージを持つよりは、どんな形であろうとポジティブなイメージを持っていた方が心豊かにはなる気がする。

何となく最近の世の中は、結婚に対することだけでなく、固定観念が崩されて、自由になったからこそ、今までのスタンダードに対する当たりが強いように感じるんですよね。
「それは古い!」「そんなことしてる人もう今いない」

もちろん、常に何かをアップデートして、世の中の流れに合わせていくことは大事なことだし、必要です。

でも、どうして、0か100じゃなきゃダメなんだろう?
100あるうちの30番目を選ぶのはダメなのかな?
今までスタンダードだったものたちも、選択肢にあったらいけないのだろうか。
なんだか、自由が自由を不自由にしているように思うんです。
くどいような言い方なんですけど(笑)

昨日書いた記事とも通じるのですが、人1人の想いや気持ちって、全く関係のない外野の野次で簡単に揺れるし、自分を否定してしまう引き金になることもあると思います。

だからこそ、せっかく多くの自由が許されている世の中で、わざわざ否定して誰かの不自由を作り出す必要はないんですよね。
価値観なんて人それぞれだから面白い。
このことに社会が気づいたから今の様な自由が沢山ある世の中になったんでしょう。
これからもどんどんそういう風潮に溢れたらいいのになぁって思います。



                               2020.07.27