見出し画像

空も飛べるはず

 人が空を飛ぶ様子は映像では見たことがあり、見ていた時、自分もチラッとやってみたいなと思ったことがあったけれども、まもなく意識のかなたに消えてしまい、跡形もなくなるのがつねであった。ところが、世の中、何を経験するかわからない。思ってもいないことを経験する機会はそこらここらに転がっている。

 ある男が財布を落としてしまう。お金とあらゆる個人情報が詰まっていて、悪用されるならば甚大な損害を及ぼすことから、真っ青になるのはあたりまえのことだった。すぐにキャッシュカードやクレジットカードなど、お金に関するカード類は使用停止の処置をした。しかしだ。彼にとって、財布を落とすという事故は頭になかったので、パニックになり、社会人として拾ったなら、当然警察に届けるべきではないかと、世の中に毒づいた。しかも、失くした本人も自責の念にかられて遅くまで眠れなかったという。

 ところが、財布がとんでもなく旅行したところから見つかった。お金は無くなっていたが、カード類は残っていたので、拾った人がカード会社に電話して、落とし主が分かったというのが真相らしい。見つかる前は、お金あげるから、他のもの、返してと、天に願ってたのに、見つかると、お金も惜しくなったのか、金も返せみたいな悪態をついた。

 それでも気持ちが収まらず、何か悪い厄があったからだと、カラダについた厄を祓おうという考えに至ったわけらしい。財布を落としたのだから、自分が落ちれば厄が祓えるのだという理屈をもちだして、自分が落ちる体験ができるものを探したそうだ。かれによれば、一つはバンジージャンプで、もう一つはパラグライダーなんかがいいかなと思ったらしい。だが、一人でやるのはどちらも怖い。誰かを巻き込んで、一緒に飛んでくれる仲間がいれば心強い。そこでターゲットにされたのが筆者だった。

 話を聞いたとき、筆者は空中を浮揚するイメージをもったが、実際はどちらも落ちる体験だ。この年まで、落ちた経験は数限りだ。自慢じゃないが、高校も落ちた。大学も落ちた。就職も落ちた。選ばれなかったという意味では、恋愛も恋人にも選ばれず落ちてしまい、落ちた偶像か木偶の坊だった。人生の中で、落ちる経験をして厄を払わなかったから、人生この体たらくかもしれないと自問してしまたったのは、厄落としで飛び降りたいという男と同じ穴の狢だったかもしれない。

 そんなわけで、この正月、はっきりした合意もなく予約されてしまった。バンジージャンプは自殺のシュミレーションだと強く反対したので、パラグライダーになった。パラグライダーはバンジーに比べると、まだ風の力を利用するので、すぐにポテンシャルエネルギーの影響を受けないだろうという読みがあったからだ。

 当日は街中では無風快晴だったが、現地は穏やかな風が吹いていたので、日が照っていたのに体感温度は寒く感じた。そこから270m高い岩山には、スキーのジャンプ台のようなといえばカッコイイが、実際は崖にせり出した舞台のようなところから、走りこんで飛び降りるジャンプ台ができていた。最初、山のふもとにある事務所から頂上近くにあるジャンプ台までどうして行くんだろうと疑問に思っていた。車に乗ってくれと言われたので、車で行くのかなと思っていたところ、予想は裏切られ、中腹の急こう配からはモノレールの軌道車に乗り換えて、標高差150mから200m位の急な登り坂をあえぎあえぎ登るのだ。軌道車のエンジンが悲鳴を上げて、林の中にこだましている。50°以上の勾配のときは座席がひっくり返るような、何か起こりそうな感覚をおぼえた。

 パラグライダーに乗る前に、ハラハラドキドキを経験してしまったわれわれは軌道車の終点に到着したのちも、さらなる不安感を感じてしまうことになる。到着したジャンプ台からみた景観に足がすくみ、体の震えを禁じえなかったからだ。ジャンプ台では下とは比較にならない風が吹き、見わたす限りの遠景には富士山やスカイツリーがかすかに見え、下界にはミニチュアになった家や道路や車が見え、高さをひどく感じたからだ。

 感覚的にはとんでもなく高い位置から、飛び降りることになったが、風の方向が定まらないということで、ジャンプ台に集まったジャンパーというかフライヤーというかわからない人たちは飛ぶことができる最適の風がくるまで、風待ちをしていた。ベテランらしい人の中には、今日は条件が悪すぎるといって、飛ぶことをあきらめた人もいた。のちに筆者が飛び終えて、話を聞いたとき、隣県からわざわざ来ている人とわかったが、そんな人でも飛ばないほどの悪条件だったのだと思うとあまりいい気分はしなかった。

 飛ぶ順番でもめたが、なぜか筆者が最初に飛ぶことになった。風が山側に吹いてないと、風によってパラシュートがはらまないので、だいぶ風待ちしていたが、装具を装着して、満を持して、その時を待っていた。風を読めない筆者は、ある時いきなり、じゃ行きますかといわれ、ジャンプ台の突端にある旗がなびいてる方向に走ってくださいといわれたので、走ろうとしたが風が強くて押し戻されそうになりながらも、走りこんで台から足が離れていった。

 はじめてのパラグライダーなので、もちろん一人で飛んだわけではなく、タンデムという二人で飛ぶもので、操縦者は筆者の後ろでパラシュートをコントロールしてくれていた。この結果、両手が空いていたので、スマホで空中遊泳の様子を撮影できた。空中は風が一定方向に吹いていなかったで、危険ということで長い時間の飛行はできなかった。動画の撮影時間をみると、2分足らずの空中散歩であったが、初めて地に足をつけずに、空中を漂ったという感覚は生まれてはじめてのことであり、何ともいえない感慨をおぼえた。まさに鳥になった気分で、本物の鳥瞰を味わうことができた。

 むかし、帆船を動かすパイロットは風を読んで、風に乗って船を動かし、目的地に向かっていたことは頭では分かっていたが、単なる知識だった。風を読み、風に乗って、空に浮かんだ実体験は落ちたという感覚よりも、浮揚した感じしかしなかった。厄落としに、清水の舞台から飛び降るつもりで飛び出したのに、恐怖の予想は完全に裏切られ、筆者に空を飛ぶというわくわく感と心おどる興奮を与えてくれた。

 だが、感覚的には心身ともに浮揚したけれども、物理的には落ちたわけではないけれども、降下したことは間違いない事実だから、一回で完全に厄を落とすに比べれば5分の1とか10分の1の厄は減ったはずだと考えると、一回だけではダメで、何回も飛ばないとあらゆる厄は祓えないことになる。こんな気持ちの良いフライイングで厄落としができるなら何回でも飛びたい気分だ。今年何回か飛べば、新しいグッドな未来が訪れるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?