マイノリティとマジョリティの間

仕事である会社へ訪問の際、毎度通らなければいけない守衛がある。





守衛とはいえ厳格なものではなく、
シルバー人材として雇われたおば様、おじ様が
プレハブの建物の中でイスに座って感染対策からか切れ目が2箇所入った透明な厚手ビニール越しに客人の対応をしている。





顔馴染みがある為、
本人は無意識ではあるものの持ち前の高齢の方に好かれるスキル(他人から言われて自認)を発揮し、





お互いの会社の雇用形態の愚痴や
季節によっての自然の変化や
週末の過ごし方を報告しあい、
心を和ませる瞬間を共有している。






シルバー人材の守衛たちは1人ずつ出勤しており
日によって当番制としていて男性2人、女性2人だ。







ある男性は「おたく、出身は?」から始まり、
どうやら、筆者の出身地で10年ほど過ごした事があり、自然や観光施設や商業施設が充実していた事が身にしみているらしく、とても気持ちよく褒めてくれた。




経験に裏付けされて、とてもうれしかった。
ありがとう。





ある女性は「眼鏡おしゃれね」から始まり、
息子は全くそういうのに興味無いらしく
一人暮らしをして、自立しているが
年齢は30代後半。
独身生活を謳歌しているため
少し心配しているとのことだ。

筆者の眼鏡から話題の展開が広がり過ぎていることはまず目を背けるが、


どうもこの話題には
胸が締め付けられた。


返事はおば樣に気持ちよく話してもらいたかったから、
一人暮らしをしていることからきっと息子さんもお母さんの事は感謝しているし、家族の有難みは分かるだろうから、良い人に出会うだけじゃないですか。


そう言って守衛を後にした。









最近、映画【正欲】を観賞した。
この映画で守衛の人と話した事が
何かと繋がる気がした。
自分は何故おば様と息子さんに気を遣っていたのか。






結婚願望があるわけではないかもしれない。
息子さんは一人でいたいかもしれない。




しかし、母親としては世間を軸とするのであれば
子供には孫を出産して
子供が老後を迎えた場合に
面倒を見てもらえるような未来設計を考えて欲しいと願うかもしれない。




どちらが正しいのだろうか。 





個性をテーマにすれば
例えば、【正欲】では
水フェチの仲間は彼らにとってものすごい濃い共有性を持たせていた。




世間の代表役として刑事は、酷く煙たく彼らを扱っていた。





世間を軸にすると個性の善悪が変わる。




「普通」の意味が多数派であるからでいいのか。




自分らしさ(マイノリティ)を強調する
現代のマジョリティは
何か気持ち悪さを感じる。


そもそもマイノリティを受け入れよう!
ってスローガン自体にマイノリティ保有者に寄り添いを感じない。




しかし、狭い価値観での仲間はとても大事にしていきたいと再確認もできた。





狭いトンネルを掘った先に居合わせた人と仲良くなりたいよなあ。





自分らしさを自分で認めて
多数派に媚を売り過ぎず
謙虚に図々しく。



この金脈をどう掘っていくのが最適なのかな。




自己愛と利己愛のバランス
これはずっと大切にしなきゃいけないんだろう。








守衛のおば様

息子さんは一人暮らしをとても謳歌しているに違いない。
仕事もうまくいっていて、
自炊もしていることから栄養もしっかり取っていることでしょう。
あなたは息子思いで焦らせるのが嫌で本人には孫を持って欲しいとは打ち明けたことは無いと言っていました。

何も変化なく時間が過ぎていくのは怖いけど
いつかそっと見守る優しさが息子さんに伝わること間違いないと思うのです。

そして、それが伝わったとき息子さんの行動にあらわれるのでしょう。


入門13時半厳守の男より。






これがオレのカインドネスマイノリティ。


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