分かるよ。分かる。でも分かられるのがいや。

オードリーが大好きで
全てではないが出演するバラエティ番組とラジオ番組は欠かさずチェックしている。




特にラジオは毎週心から楽しみにしていて
長寿番組が故に、
時系列に沿った本人の周りの状況の変化に応じて
繰り出されるフリートークが大好きだ。




独身時代から見える円満な家庭をもった同級生への目線や
結婚をして子供を授かり家庭をもった一人の主(あるじ)としての目線



あるあると思いながらもいびつで
でもものすごいいびつなんかじゃなくて
その絶妙なラインが面白さとして誇張されていて


自分が一人きりで
今まで悩みとして抱いていたことも
同じように考える人がいて
それを笑いに変えてくれて
助かる事もしばしばあった。



もっとオードリーを深く知りたいと思って
若林さんのエッセイを全部読んだ。



びっくりした。頭の中がものすごく似ていた。



例えば一人で出かけている時、
寂しさを全く感じない事に不思議さを感じていたけど、全てを言語化してくれた。



独り言が会話になっているからだった。



ショッピングモールや道の駅など、
人混みの中にいると
他人の家族の構成を予想したり
これから何処へ向かう車なのかとか
晩ごはんはどこで食べるのだろうかとか


そんなことをずーっと考えている。



ものすごく嫌われている上司がいて
どうしてこんな人間性になったのだろうと
ずっと考えていた。
裸の王様を精製していたからだった。


バブル世代を
新社会人から中堅までを生き抜いた人たちは、
時代の急成長の潮流にうまく乗ることで
周りの波に乗って
うまく社会に溶け込む事ができた。
本人の努力とは少し違う成長方法だろう。
それが楽かどうかは未だに分からない。

努力を知らない大人は、
やがて部下を構えた時に苦労を知らないから
平気で鋭利な言葉の槍で刺す。

本人はさほどの言葉の暴力とは思っていないのが罪だ。つまりは裸の王様だ。

もちろん全ての人がそうではないという事は伝えておくけど。








エッセイで共感した文章は全て付箋をしたが
付箋が多すぎて逆に付箋の意味を成していなかったから読み直す方が早いと思って、すぐに剥がした。







親父が調子を崩した時に、エッセイと出会って
どうやって病気と闘う親父と
接するか悩んでいたが
若林さんも同じような状況下だったらしく
自分にとっての答えがとても分かりやすく載っていていて参考にさせてもらった。
本当にありがとうございます。(詳しくは読んでね)




今シーズンの連ドラで唯一続けて観てきたのは「だが、情熱はある」だ。
最終回で若林さんのエッセイの一部分が映像化されていた。





そのシーンはエッセイでもかなり肝になるシーンだと思っていて読んだときの脳内の映像を鮮明に覚えている。




ドラマを観ていて既視感があったのは
それほど脳内に焼き付いていたからだろう。





真夜中、街灯の下、歩道を歩いていると
殺気立つ見知らぬ黒装束の男とすれ違った。


しばらくすると背後で物音が響く。


黒装束の男が叫びながら赤いコーンを蹴り飛ばしていた。



俺もそうだったんだよ。
俺も君と一緒で訳もわからないで、
もがいて反応が返ってこない物に当たる事で
気分を紛らす事しかできない。



本当は友達になれるんだよ。君と。



でも、君は僕が分かろうとすると
お前には分からないって言うんだ。



。。ここまでがドラマとエッセイの覚えている限りの内容。




若林さんの優しさが見える。
自暴自棄になる黒装束の男と自分を重ねた時、声を掛けられたら

俺の気持ちなんて誰にも分からねえと
答えるに決まっているから
だから声を掛けられないんだろう。

そんな人に出来る優しさは
遠くから彼を認める事だ。

黒装束の男は
自分自身が何者であるか分からないから
誰かにとって必要な人であると思われていないから
苦しい。


でも身を投げる程の度胸はない。
誰にも気づかれないように
夜、出歩いて黒い服に見をまとって
返事もしない
所有者が分からないコーンを
蹴り上げる。

分かるよ。分かる。君は僕と一緒なんだ。


この言葉が本当に優しさを感じてしまう。


最近起こるあり得ないような事件。
ナイフで全く知らない人を切りつける連続殺人のニュースを見る度、
エッセイに出てくる黒装束の男を思い出す。




身の回りの人たちにとって誰の何者になるか。


そして知り合い達に会ったら
振り返って認めてあげる事の大切さがよく分かるようになった。




オチが思いつかないから
以上おわり。





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