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武田綾乃『愛されなくても別に』を読んで

 『愛されなくても別に』は、『響け!ユーフォニアム』シリーズの著者である武田綾乃先生の作品だ。筆者は同シリーズのファンでそこをきっかけにこの作品を知った。本書は、学費と生活費のためにアルバイトで月20万円稼ぐ主人公、宮田陽彩が、父親が殺人犯と噂される江永雅と出会ったことで始まる。
 2人の関係性は黄前久美子と田中あすかに似ていると感じた。シスターフッドとという言葉を知らず例えるならこの2人が1番当てはまっていると感じたからだ。木村水宝石とかいて「きむらあくあ」と読む人物が現れた事も大きい。どうしてもある人物を思い出してしまい笑ってしまった。
 閑話休題、宮田と江永の2人は自身の感じる孤独をお互い他人には話せなかったことを打ち明け合うことで解消する。たまたま出会った人物が理解者となった。この同じ孤独を感じる2人が出会った偶然が本書の肝要だ。救われた宮田と江永と、救われなかった木村を区別している。宮田と江永の孤独は愛されていると感じていたシングルマザーの母親から裏切られたことを始まりとしている。一方木村は母親に行きすぎた愛を注がれている。それは籠に閉じ込められるかのように。ここから生じる孤独を宮田と江永は理解できなかったのだろう。2人が理解できたのは木村の母親の方であったため、あの結果となったのだ。
 ではなぜ、宮田と江永は救われたのか。それがシフターフッドだ。2人にとっての救いは愛されることではなく愛することだった。木村の嵌まった宗教の創始者である宇宙様との会話で表現されている。
 江永が「この世界に生まれた理由」を尋ねると宇宙様は「家族に愛されるため」と答える。それに対して江永は「アタシが求める救いはそれじゃない」と反論し、「他人に愛されなくても幸せに生きることを許されたい。いいじゃん愛されなくても別に。他人から愛されないといけないなんて、呪いみたいなもの」と続ける。ズバリとタイトルを回収してくれて震えた。愛されることが救いではないなら、どうすれば救われるのか。それが他者を愛することだったのだ。宮田が最後、愛してくれる母親を許さず、自分が愛する江永を選んだのはそういうことだ。

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