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安倍公房『砂の女』を読んで

 『砂の女』のあらすじはこうだ。砂丘へ昆虫採取に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。果たして男は砂穴から脱出できるのか。という話である。
 全体を通しての感想は難しい、この一言である。この作品が昭和37年に刊行されたというのも影響しているかもしれない。文体が現代文と少し異なってるため多少の読みづらさを感じた。しかし、安倍先生の巧みな比喩表現からなる独特のリズムが心地よくスラスラ読めてしまう。男がどんな場面でどのようにもがくのか、その様子が頭に浮かんでくる。例えば、
「風で、手拭いがめくれ上がった。目の端で、砂丘の稜線の一つが、金色に輝いた。なだらかに盛り上がってきた曲面が、その黄金の線を境に、急角度で影のなかにすべりこむ。その空間の構成には、異様に緊迫したものがあり、男は妖しいまでの人恋しさに、ぞっとしてしまった。」
という場面が筆者のお気に入りだ。砂穴から脱出し、忘れられた小屋を見つけて日の入りを待つ男の様子である。小屋の中で脱出に成功し、生を実感している時にふと見えた、自然が人を拒絶するかのような死の景色、そこに美しさを見出しつつも恐怖してしまう男の感情が巧みに表現されている。
 さて、皆さんは人生の中で何か希望を持って生きているだろうか。男にとってそれは昆虫採取だった。しかしながら昆虫採取は男にとって決して満足度の高い希望ではなかった。筆者の男に対する第一印象が退屈に生きているというものであったし、男も退屈を感じていた、だから突然休みをとり誰にも行き先を告げずに海辺までの旅に出たのだろう。筆者は本書を初めは、男が砂穴からどのように脱出するかを書いたミステリーのような作品だと考えていた。しかしこの作品の本質は男が生きがいを見出すドキュメンタルであると読了後はそう考えている。
 砂穴での生活を強制されると同時に男は生きがいであった昆虫採取も奪われてしまう。では、希望を奪われた男がどうしたかというと、今度は脱出を砂穴での生きがいとした。外での生活という希望がこの時期の男を生かしている。それが少しずつ女との生活へと移り変わる。見事、砂穴から脱出した男は部落から逃亡をはかるが、女に後ろ髪引かれる思いを吐露している。どうしても走る時に左側に寄れてしまうことや、自分がいなくなった後の女の事を考えているのが、男の変化を良く表している。逃亡に失敗した後はどうか。カラスを捕まえるための罠作りを始める。その罠に「希望」と名付けてだ。全然うまく行かないのだが、偶然、溜水装置ときて機能していることに気付く。それからは溜水装置への試行錯誤が男の生きがいとなった。もはや男は虫のことなど考えいない。砂穴から脱出することもだ。女が妊娠すると病院に行くために縄梯子がかかる。男が待ちに待った縄梯子だ。しかしそれに興味は示さない。女が出て行く時に踏んでしまったのか、壊れてしまった溜水装置を直し始める。逃亡を志す人がこんな行動を起こすはずがない。外に出ることよりも砂穴での実験と女との生活を選んだのだ。男には外への未練は一切ない。縄梯子は片道切符ではなく往復切符となったのだ。

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