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「好き」にこだわらずに「本気」にフォーカスする

「好きなことがわからない。」「やりたいことが見つからない。」「得意なことがなにも無い。」そういう悩みをいつもかかえてきた。そして、周りの人たちも、同じような悩みを持っているようだった。

だから、「好きなことがあった。」「やりたいことが見つかった。」「得意なことはこれだ。」と、新しく見つけられた人がうらやましく、自分に対して焦りを感じていた。

この状況に、年齢は関係ない。出合う時期が、早い人もいれば、遅い人もいるのだから。

「好きを仕事にする。」という言葉は、もう今では聞き飽きた感じもする。なぜなら、「好きなこと」に出合うのを求める時間は、遠回りをしていると気づいたからだ。

もちろん、出合えたら幸せ。でも、誰しも好きなことが全く無いわけではない。その度合い、認識度が大きいか小さいかだけである。それが仕事として成り立ち、発展していくことを望むのであれば、好きなのかどうかの重要度も変わってくるかもしれないけれど・・・。

しかし、しかしである。

そんなに「好きなこと」にこだわらなくてもいいのではないかと思いはじめた。

要は、本気か本気でないかだ。好き云々より、本気かどうかなのだ。だから、対象となる物事は、好きでも嫌いでもなく、目の前にあることでいいのだ。目の前にあることでいいのだから、探すことも、無いと嘆くこともない。

なにを始めるにも、最初の1歩はハードルが高く感じて、なかなか踏み出せないものだ。そこで立ち止まり続けると、時間が経過するだけで、どんどん自分が苦しくなるだけ。

「好き」にこだわらない。目の前のことに「本気」で取り組んでみる。本気で取り組むとは、まず行動することだ。行動したら、思考が必要なことにフォーカスされて動きだす。

自分自身が前進という、循環をしだすのだ。

もう、「好き」にこだわらず、「嫌い」に執着しないで、「本気」に情熱を向ける。自分の「本気」にエネルギーを注ぐのだ。

実際、私は自分の好きを見つけるために、その焦りから、好きと思い込んで取り組んだことがある。結果は、苦痛でしかなかった。

決して、嫌いではない。嫌いではないけれど、特別好きでもなかった。(今となっては曖昧だ)

でも、その経験をへて思うのは、大事なのは自分が本気になるかどうかだったと。自分の意志である。

本気になると、本気の人から学びとれる。
本気になると、物事の本質が見えてくる。
本気になると、行動と思考が動きだす。
本気になると、何かが変わる。変わってくる。

好きなことがあり、やりたいことがあり、得意なことがある人の行動が魅力的に見える裏には、努力という本気があった。そのエネルギーが自信となってキラキラと輝いて見えるのだと。

そう気づいたとき、好きが先か、本気が先かは、人それぞれで、どちらから始めたとしても、たどりつく世界は同じなのだと。

一度きりの人生。

時間を無駄にしないで挑戦し、思いきり楽しみたいと思う。

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