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ドラマ、ではなく本当の話

離婚からはじまるラブストーリー 
ドラマ「リコカツ」 
ドラマを見ていないので、詳細はわからないが、どうやら、当事者のふたりは離婚したらしい。そこからどんなストーリーが展開していくのか…


ドラマだからこそではあるが
実際、離婚からラブストーリーなどはじまらない。

自身の場合
離婚からはじまったもの
それは
世界の果てよりも遠い
自分の心の底への果てしない旅である

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離婚して10年が経つ


3カ月の娘を連れて実家に帰った時は
離婚をするつもりはなかった
が、やり直せる見込みはすでにほとんどなかったように思う。

彼(元夫)と暮らしたのは1年
家族3人で暮らしたのは3カ月

実際正式に離婚に至るまでには別居から2年かかったが、別居した時点ですでに離婚同然であった。

彼は同い年
心臓の持病とかなり重度の偏頭痛があった。
心臓は手術にて治療できたが、偏頭痛は完治するものではないので薬でコントロールするしかなかった。
心配になるくらいかなり大量の薬を飲んでいたが、
薬剤師という職業柄、薬の事は誰よりもわかっているはずであり、私が口を挟める余地はなかった。
月に何回かは寝込む状態であり、仕事も休まざるを得なかった。

色々な事、覚悟のうえで結婚したはずであった。


しかしそんな覚悟はいとも簡単に揺らいで崩れてしまうものである。

東日本大震災が起きた2011年3月
その数日後に3カ月の娘を連れて実家へ帰った。

津波で何もかもが飲み込まれていく映像を見ながら娘に授乳していた私は、まるでこの世の終わりかのような暗澹たる思いでいた。
娘が生まれてから私は娘のお世話に明け暮れ
彼のお世話まで気が回らない。
私は産後実家へは帰らず育児をしていたが、
産後鬱状態になりつつあった。


彼は寝込む頻度が増えていた
元々鬱傾向はあったがさらにひどくなっていた。


そして仕事を辞めてしまった。


娘はまだ3ヶ月
私が働くにもまだ、何の準備もできていない。
お互い体も心も万全ではない。

とりあえずそれぞれ実家へ帰ることにした。

何度か話し合いはしたが、
私はもう娘を一人で育てるつもりでいた。

当人同士の話し合いにも限界がある
第三者を交えないと冷静にはなれない
約2年の調停を経て離婚した。

娘が9ヶ月になったところで私は職場復帰した。
働きながら毎月裁判所へ行くのは正直しんどかった。
調停が長引き、心身消耗状態で娘を保育園へ迎えに行く道中、
泣きながら運転していた記憶、いまだに思い出す。

話し合いを重ねることは大事だが
あまり長引くのはよろしくない。
長引く取り調べの末
自白を強要されるかのように
やっていないのに、やりましたと言ってしまう気持ちがわかった気がした。


もう、終わりにしたい
私が悪かった
だからもう終わりにしてください
そういう気持ちになるのだ


結婚に費やすエネルギーが正なら
離婚に費やすエネルギーは負である
負のエネルギーはもう使いたくない

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幸いなことに
娘は県外の義父母宅へ泊まりに行ったり
週末には父と電話で話したり
交流の機会がある。

しかし、そのような交流が可能になったのはここ数年、つい最近の事である。

とはいえ、私は彼とはいまだ普通には話せない。
そこには見えないが厚い壁がある。
その壁は自身が作ったバリケードである。
彼は電話越しに普通に話しかけてくるし、私を名前で呼ぶのだが、私の心はまったく穏やかではない。

そんなやりとりを見た娘は
「お父さんと話したくないの?嫌いなの?」
と、ストレートな直球を投げてくる。

いや、好きとか嫌いとかそういうことではない。
許せないのだ
自分が許せないのである
しかし、それは相手が許せない
ということでもある

許すということは実に難しい



「許したら?」


ドラマ「リコカツ」の主題歌にもなっている米津玄師さんの楽曲「Pale Blue」を聞き、この楽曲の意味を考えていた時にふと浮かんだ言葉。

友達にすら 戻れないから 
私 空を見てました
最後くらいまた春めくような
綺麗なさよならしましょう

米津玄師 「Pale Blue」



友達にすら戻れない

夫ではない
けれど
他人というわけでもない

じゃあ何なんだ
となると
別れても家族
ということだ

私にとっては元夫でも
娘にとっては父であるから


離婚した今でも交流があるのは
義父のおかげである
娘の誕生日には必ず手紙と贈り物、生活の足しにと現金を送ってくださり、私宛の手紙には毎回、不甲斐ない息子を詫びるかのように「貴女様の日々の努力に感謝致します」という言葉が添えられている。

義父のおかげでつながった縁


両親の離婚により
私はだいぶひねくれて、屈折してしまった部分がある。
元々の性格もあると思うが
意地っ張りで素直ではないので
大変生きづらい、と自覚している。
もっと素直になれたら
もっと人に頼れたら
もっと生きやすいだろう

その点、娘はそういう部分は見受けられず、
ひねくれたところがなく、明るく、正直に育ってくれた。せめてもの救いである

「いつか3人で会いたい」
そう語った娘
娘の願い、コロナ禍の今は実現が難しいが
それを言い訳にしてはならない、とも思う

彼が、義父母が、私が
娘を思う気持ちは同じである

別れても家族

家族の在り方に正解はない
これからも模索し続けていくのだろう

家族とは最小単位の社会でもある
社会と無縁で生きていく事はできない
1人では生きていけない
生きるとはそういうことなのだ

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もしも結婚していなかったら?
もしも子供がいなかったら?
もしも離婚していなかったら?
もしも出会っていなかったら?

もしも、もしもそうだとして

どうするつもりだった?

どうもしなかったんじゃないか…

もしも…と考えたところで
答えは出ない
現実を見ず
楽な方へ流されていくだけだ


現実を受け入れて進むしかないだろう

限りある人生の中で
恨みや憎しみの念を抱えて生きていくより
許して生きていく方が生きやすいだろう



人は間違うものだ
だからこそ許す



互いを認め合い、尊重しあう

それが「許す」ということかもしれない

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娘にはしあわせになってもらいたい
が、しあわせがイコール結婚ではない

結婚してもしなくても
離婚してもしなくても
子供を産んでも産まなくても
結婚相手が異性ではなくても
ひとりでいることを選んでも

娘が自分らしく生きることができたなら
どんな選択でもよい。
ただ、自分の選択に責任と覚悟を持って歩んでいってほしい。


ちなみに娘の理想の相手は
現時点では
マンガ「おそ松さん」の5男、十四松らしい。

理由は
「おバカだけど、明るいし素直だし、一緒にいたらおもしろいから」
だそうである。

そしてもし十四松が仕事をクビになっても
自分が働くから大丈夫!と。

実に頼もしい。

人生いつどうなるかはわからないが、
生きていくためには働かねばならない。
手に職をもつことは大事だ。
今、できることは
一生懸命勉強することである。

「なりたい自分になる」
だから勉強する。
そのことを忘れずに歩んでいってほしい。

暗澹たる冒頭で始まり、
書いていてどこに行き着くのか
よくわからぬまま書き連ね
着地した先は十四松…

終わりよければすべてよし

これでいいのだ
(いいのか…?)

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