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人の短篇集

あなたの何かが描かれる。

その言葉に惹かれて手に取った。

一篇は大体5ページ、長くても10ページ
サラッとあっという間、なのに、深く残る余韻。

もう一度味わおうとページをめくる。

一度目はサラリと
二度目はゴクリと
三度目にはコクが残る

コーヒーを味わうかのように
文を、ことばを味わう。


私が好きな一遍は「一瞬を生きる」だ。


有名な老カメラマンとスタジオマンの青年の物語である。
青年はまだ駆け出しの23歳。下っ端で、「ボーヤ」なんて呼ばれている。
スタジオマンはカメラマンではない。
アシスタントを必要とするカメラマンの手伝いをするのが仕事である。
ただ漫然と仕事をこなす日々、でもいつか、いい写真を撮って「ボーヤ」と呼ぶ人たちを見返してやるという野心を持っている。
ある日、有名な老カメラマンがスタジオを訪れ、青年は彼のアシスタントを申し出た。
スタジオの貸し期限は1週間。
しかし、老カメラマンは一向に写真を撮る気配がない。


「何を撮るんですか?」

「さあなあ。何を撮るんだろうなあ。俺にもわからないんだ。」


広いスタジオの隅っこの椅子に腰掛けてコーヒーを飲みながら、ぽつりぽつりと互いの事を語る日々。

4日目の朝、
「とりあえず君を撮ってみようかと思う」


そう言って青年を撮り始めた老カメラマン。
1時間ほどシャッターを切り続ける。
翌日と翌々日は誰もスタジオには入れないよう言い残し、ひとり何かを撮り続ける。
青年も出入りは許されなかった。
そして別れも告げぬまま、老カメラマンはスタジオを去る。
その2週間後、訃報の知らせ。
全身が癌で蝕まれていた、なんて青年は知らなかった。
そして老カメラマンがその時撮ったフィルムは彼の遺志により棺に収められ、現像されることはなかった。
しかし、たった1枚残った写真を青年は持っていた。
青年を写した最初の1枚のポラロイドだ。
ゴミ箱から拾っておいたのであった。


「君は今幾つだ?」

「二十三です」


そう答えた時の、瞬間の、一瞬の姿が写ったポラロイドを眺め、
彼が何を撮ろうとしていたのか青年は悟る。

その何か、は具体的には語られていない。
それは読んだ人それぞれの想像に委ねられている。
一瞬を、瞬間を切り取った写真
そこには感情が凝縮されているような気がした。
人の感情は複雑だ。
喜怒哀楽という4文字だけでは言い表せない。

例えば嬉しい気持ち
歓喜
感激
有頂天
ご機嫌
嬉々
驚喜
ウキウキ
ワクワク

欝々とした気持ち
憂欝
鬱然
気鬱
沈鬱
気重
億劫
アンニュイ
メランコリー

微妙な違いを機微というのだろう。
そんな機微が文章と写真の中に凝縮されている。

「あなたの何かが描かれる」

ああ、なるほどな。
その言葉の意味を悟る。

じゃあ、すべての喜怒哀楽をなくすとき

ゼロになる瞬間

私はまだ生き足りないと思うだろうか

どんな感情を持っているのだろうか

どんな感情を持っていたいだろうか

口をついて出てくる言葉はなんだろうか

ありがとうって伝えたいのに、

ごめんなさい、かもしれない。

最期までアマノジャクな気がしている。

人生のひとコマを描いたショートショート
作品毎に掲載されているモノクロ写真も味わい深い
物憂げに佇む人(彫刻)
秋の公園にて






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