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よかった、とは思わないが すべてが悪かった、とも思わない

「お前、頭おかしいんじゃねーの。
特別学級に行けよ。ここはお前がいるところじゃねーよ。」

(特別学級は今でいう特別支援学級。)

当時小学5年生、
同級生の男子から言われた言葉だ。

確かにその当時、
私の頭はおかしかった。
が、それは「てんかん」という病気のためであった。


突然意識がなくなってしまう。
時間にして30秒位の出来事だ。

例えば駐車場で道の端を歩いていたはずが、駐車場の真ん中へ歩いていってしまい、車にひかれそうになる。
全校集会などの場でじっと話を聞いていたはずが
列を離れ、一人で歩いていってしまう。
ピアノのレッスン中にふいに指が止まってしまう。
これらはすべて自分の意志とは関係なく、ふいに起こる。
そして誰かが呼びかけている声もまったく耳に入らない。
気づいたらそうなっていた、
まさにそんな感じなのだ。

なぜ、そうなってしまうのかまったくわからない。
わからないゆえ、説明もできない。
「ボーッと病」などとからかわれ、
頭がおかしい、だの 馬鹿だのと散々言われ、
担任(男性)にも笑われた。
我に返った私の目の前で「またか…」と呆れた顔で笑う担任の顔、
いまだに覚えている。

脳神経外科を受診し、「てんかん」と診断され、内服治療が始まった。
薬の効果は劇的であった。
飲み始めてから発作は激減。
徐々に減量し、小学校を卒業するまでには完治した。

あれから一度も発作は起きていない。

てんかんとわかるまでに受けた出来事を忘れることはないが、
馬鹿にされた、悲しい、という思いは
いつか見返してやる、という思いへ変わった。

悲しみは怒りとなり
怒りは原動力となった。

怒りは時として生きる力にもなる。

怒りの矛先を間違えてはならないが
プラスのエネルギーに変えることはできるだろう。


てんかんになったこと
そのことで馬鹿にされたこと
それらは決してよかった出来事ではないが
すべてが悪い出来事とも言えない。

こうして今の自分があるのも
怒りという原動力があってこそだったかもしれない。

同級生と担任の言動を忘れる事はないだろう。

さりとて、今さら言いたいことなどないが、


よくも悪くも負けず嫌いな自分はいまだ健在。

逆境が自分の人生を作ってきた。

自分の居場所は自分で作ってきた。


それだけは言える、
そんな気がした。


踏まれても強い
踏まれても咲く
シロツメクサ
人も植物も
踏まれてこそ成長する

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