スマホによる消費依存との向き合い方

おはようございます。

フィナンシェって見た目と脂っぽい美味しさが春巻きに似てるよなぁと気付いてしまったカジタです。世の中、茶色くて脂っぽいものが勝つように出来ていると思ってます。

社会人も二年目になり、「本当に自分のやりたいことって何だろう」と考える機会も増えたのですが、自分のやりたいことが定まったからと言って実際に行動できる人は少ないような気がしています。

僕も、「この4連休であれとこれはやろう」なんて意気込むんですけど、1日目の午後にYouTubeを開いてから、気付いたら日曜日の午後になっていました。時間が溶けるっていう表現をした人は天才だと思います。

こんな時に「僕が本当にしたいことってYouTubeをダラダラ見ることなのかな」と自問するのですが、返ってくるのは「そんなことはない」という心の声だけです。

じゃあ、「何でダラダラしてたの?」って聞くと「何でだろう?」って言われて、「気づいたら見ちゃってたの?」って聞くと「気づいたら見ちゃってたの。。」って言われます。こだまでしょうか?

そんな怠惰なACの背景には、個人の意志の弱さではなく、スマホによる消費依存という外的な要因があるんじゃないかなと思います。

それは、スマホからYouTubeのような無料で無限のコンテンツ在庫があるプラットフォームに簡単にアクセスできる環境があることで、コンテンツを消費することに対して、ある種の依存状態が起きているということです。

個人的な感覚では、コンテンツを創り出す(やりたいことをする)喜びを10とするのなら、人の作ったコンテンツを消費するのが1の喜びだと思っています。しかし、この生産活動と消費活動にかかるコストにおいて、スマホ・YouTubeによって消費活動の工数が圧倒的に少なくなり、短絡的なコスパから判断して、消費活動を選択してしまいやすい環境があるのではないかと思います。

「消費活動への依存=危険」ということはないのですが、自分がこの依存状態にあることを認識しておくことで、不用意に自分の大切な時間をスマホに奪われてしまうことが防げるのではないかと思います。

「この休日、何をしていたんだ」と後悔しながらサザエさんを見る同志たちよ。自分が本当にやりたいことに時間を使えるように、スマホはほどほどに触ろうぜ。

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