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今聴いてる曲で語る: 宿命

前回も大して続いてたわけじゃないけど、自分の気持ちを語る文章を書きたくなったので久しぶりに再開するぞ〜。

ヒゲダンについて。

現在は幾分かましになったと自負してるが、私は斜に構えているタイプのオタクで、流行りに疎いほうがカッコいいと思ってた。
これ、「カッコいい」かと訊かれたらノーと答えるけど、流行りに敏感である必要は必ずしも無いと今でも思ってる。好きでもないコンテンツを流行りだというだけで消費するのは、私のような人種にとっては苦痛だ。時間も勿体ない。だったら、古くても、誰も知らなくても、好きなものに触れている方が嬉しい。
ただ、好きである必要はなくてもその時に旬なネタを、表面だけでいい、知っていると、知らない人との話に困ることが減る。「そういえば、これ知ってますか」美容院、仕事、初めて話す人とお茶を濁すときに便利だ。もしその人が知らなくても、流行ってるのでこちらも大怪我はしない。

私にとってヒゲダンはそんな感じで、Pretenderがめちゃくちゃ流行ってる頃には一切興味がなかった。友人とカラオケに行けば誰かが一度は歌っていたし、店内BGMでもよく聴いた。「どこでも流れすぎw 聞き飽きたわw」という態度だった。
しかし人間って本当に単純なもので、その旬が少し過ぎた頃、私は当時の恋人に対して、果たして本当にこの人とずっと一緒に居て良いのだろうか、と考えることが増えていた。何がきっかけだったかは覚えていないが、そんなときにまたPretenderを聴いて、なんだこれは、まさにこの感情だ、と衝撃を受けたのだ。そこから、ヒゲダンの曲は全部聴いた。なにかが流行るのにはそれなりの理由があるんだとやっと肌身で理解した。Pretenderを歌った友人と、歌詞良いよね、と語るのは楽しかった。

ヒゲダンの曲の魅力というのは、歌詞の飾らなさだと思う。面白く、巧妙な言い換えしているので舌を巻くし、メロディーもキャッチーでつい口ずさんでしまう。それでも、その歌で語っている感情は、私たちとそう離れない、日常に潜む恋心だったり葛藤だったりする。

ヒゲダンの曲を聴きながら、もう過去のものになった苦い恋や、愛することの良さを思い出す。彼らの曲は、どんなものでも決して後ろ向きじゃない。自分を否定しない。
私があの苦い恋を諦められた理由の1つには、確実にヒゲダンが居る。


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