見出し画像

カズオイシグロのデビュー作 「語らないことで語るすごさ」

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

【カズオイシグロの作品を語る上でのポイント】

①ノーベル賞取る前から読んでたと言う
②横断的なテーマを意識する
③服装に言及する

の3点です。

①に関して、「ノーベル文学賞を取る前から読んでた」と言えば、先見の明がある読書家だと思ってくれます。

②に関して、カズオイシグロ作品のほとんどは「記憶」がテーマとなっています。一つの作品だけでなく他の作品にも共通することを挙げることで、他の作品も読んでると思わせられます。

③に関して、カズオイシグロは、大抵黒いスーツと黒いTシャツを着ています。かつてスティーブ・ジョブズがいつも同じ服を身に纏っていたように、偉大な人はミニマリスト的な思考を持つ人が多いのでしょうか。


○以下会話

Chaptersのお客様へ
ここからは存分とネタバレが展開されます。Chaptersのお客様は、本を読んでからの方がお楽しみいただけるかと思いますが、読んでから選ぶというスタイルもありますね。お任せ致します!

■ノーベル賞の水準

 「読み応えのある小説か。そうだな、そしたらカズオイシグロの『遠い山なみの光』がオススメかな。この小説は、今やノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロの処女作にあたる作品なんだ。文章自体は読みやすいけど、少し考える時間が必要な深い内容で、普段読んでる軽い小説と比べると「これがノーベル賞の水準なのか」って気付かされる小説だよ。

■悦子と景子、佐和子と万里子

『遠い山なみの光』はイギリス在住の悦子が、マンチェスターで一人暮らしをしている娘の景子を自殺で亡くしたことをきっかけに、過去の記憶を振り返る話なんだ。終始薄暗くて灰色っぽい印象がある小説で、読んだらきっと静かな気持ちになれると思う。

主人公は悦子という女性。現在イギリスに住む悦子は、かつて長崎で日本人男性と結婚して景子を授かって、その後別れてイギリス人男性と再婚してイギリスに渡り、ニキという娘を産んでいるんだ。そして数年前にイギリス人の旦那を亡くし、景子を自殺で亡くし少し精神を病んでしまったんだ。そこにニキが帰省してきて悦子が自分の過去を語るというところからこの物語が始まるんだよ。

悦子が語る過去は、戦後まもない長崎で暮らしていた、まだ景子がお腹の中にいた時のことなんだ。当時の日本人の旦那は勤勉で、被爆の傷跡が残る長崎には復興のために街中が一生懸命で、お腹の中には赤ちゃんがいて、悦子は幸せを実感していたんだ。

そんなある日、アパートの近くにひと組の親子が引っ越してきたんだよ。母親の佐和子と娘の万里子。学校に通ってても良いくらいの歳の万里子を連れたシングルマザーの佐和子は、アメリカ人と交際している遊び人で近所からの評判が悪かったんだ。

悦子はなぜだかそんな佐和子と仲良くなり、佐和子にお金を貸したり、仕事を紹介したり、放任気味の万里子の面倒を見るようになったんだ。だけど万里子はなかなか悦子に心を許さないんだ。だから悦子は時々強い口調で万里子にあたってしまうこともあったんだよ。

佐和子は支援してくれると言ってる元夫との連絡も絶ってしまって、アメリカ人の彼氏と一緒に渡米を夢みて、会話も何だか地に足がついていないんだ。完全にネグレクト状態の佐和子のもとで育った万里子は、水に沈めて子供を溺死させる女の幻覚をみるようになってしまうんだよ。

結果として、佐和子親子はアメリカ人を頼って神戸に引っ越すことになるんだ。その時佐和子は万里子が可愛がっていた子猫を連れて行けないからという理由で水に沈めて溺死させるんだよ。それ以来悦子はその親子には会うこはなかったんだ。

すごく大まかだけどこういったお話なんだよ。

■記憶の曖昧さ

不思議な小説でしょ。実はこの小説には重要なセリフがあるんだ。それは最後にニキと悦子が長崎の港の話をしているシーン。

「何か、とくべつなことがあったの?」
「とくべつなこと?」
「港に言った日に」
「ああ、何もとくべつなことはなかったのよ。ただ思い出したという、それだけ。あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの」

一瞬何ら引っかかるべきことは書いてないと思うけど、実は「あの時景子も幸せだったのよ」と悦子に語られている景子は、この時まだ生まれていないはずなんだ。本来ならその時面倒をみていた「万里子」と言うべきなんだ。

ここで一気に語られてきたこと全ての真偽が怪しくなるんだよ。つまり悦子がこれまで話してきた佐和子と万里子のエピソードは、実は悦子自身とその娘景子のことだったかもしれないんだ。悦子は過去の記憶を話すうちに、架空の佐和子・万里子親子を作り出して、自分のことを彼女らに置き換えて思い出として語っているんだ。

やたらふたくみの親子の境遇が似ていて、きっと「名前覚えづらいな」って思ったと思うんだけど、それには理由があったんだ。

悦子はもしかしたら景子に虐待まがいのことをしていて、嫌がる娘景子を無理矢理イギリスに連れてきて、結果的に景子はイギリスにうまく馴染めず自殺してしまったのかもしれない。景子の自殺というショッキングな出来事によって悦子の記憶が揺らいでしまって記憶を無意識に補完してしまっているんだ。そしてその時の感情と共に自分の記憶を架空の親子に当てはめて、思い出として語っていたのかもしれないんだ。

でも果たして佐和子と万里子が悦子の中で作り出された親子なのか、真理は明かされないんだよ。もしかしたら、自殺をしてしまった景子を思って、まだお腹の中にいてこの世に生まれていない状態を「あの時は幸せだったのよ」と言ってるのかもしれない。あるいは他の理由があるのかもしれない。どう解釈するかは読み手次第なんだ。

■夏目漱石の『こころ』と似ている

『遠い山なみの光』の構成って、夏目漱石の『こころ』と似ていると思うんだ。『遠い山なみの光』は、娘を自殺で亡くした母親が、自分の過去を語って娘の死を受け入れていく話。そして『こころ』は、友人を自殺で亡くした男が、自分の過去を告白する話。どちらも終始暗い雰囲気があるのも似ている。

だけど悦子と先生の間には、ある決定的な違いがあるんだ。それは記憶との関わり方

夏目漱石の『こころ』は、先生と呼ばれる男と、その友人のKが一人のお嬢さんに恋をする話だよね。簡単なあらすじとしては、お嬢さんに恋をしているKに対して、先生は「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」と、元来K自身が自分に言い聞かせていたことを言い放ったと同時に、裏でお嬢さんに結婚を申し込むんだ。後からKはその事実を知って、自殺してしまうんだよ。そして先生はKを裏切って自殺させてしまったことに不甲斐なさを感じて、自分を責めて最後には自殺してしまう、そんなお話だよね。

つまり『こころ』は、Kを死なせてしまった過去を克服できずに自分も自殺してしまった先生の話なんだ。なぜ先生は自殺をしてしまったか。僕が思うに、それは記憶をうまく扱えなかったからなんだ。

先生は、Kを死なせてしまった記憶を真正面から受け入れているんだ。だから、その記憶を思い出す度に何度も何度も改めて自分を傷つけてしまっているんだよ。たった1回の出来事なのに、こころの中で100回くらい繰り返してしまって、その度にダメージを受けてる。だから結果的に先生自身も自殺してしまうんだ。

一方、『遠い山なみの光』の悦子は、記憶を改竄させて佐和子という架空の人に過去をなすりつけているよね。自分がやってきたことなのに、あたかも他の人のことのように語ることで、記憶を良いように整えて、自分を正当化させている。

はたから見れば、悦子を異常な心理状態の人だと突き放して距離をとりたくなるかもしれないけれど、悦子本人としては、勝手に自己防衛本能が働いているだけなんだ。例えば「友達の話なんだけどさ、」と前置きして自分のことを相談するように、無意識的に架空の佐和子を身代わりにしているだけなんだ。

身代わりにしたことで、結果的に悦子は娘の自殺を乗り越えて生きて行くことが出来ているんだ。悦子は最後イギリスの家を売り払って、新たな地に引っ越そうとしている描写があるんだよ。これは過去と決別して、またやり直そうという決意の表れと考えられるよね。その後の悦子の人生はわからないけれど、おそらく自殺することはないと思うんだ。

記憶をそのまま記憶として捉えて死を選んでしまった先生と、記憶を思い出に変えて生きることを選んだ悦子。どちらが良いという話ではないけれど、生きることを選択してくれてる小説の方が、読み手としては救われるよね。

川端康成は『散りぬるを』という小説で

忘れるにまかせるということが、結局最も美しく思い出すということなんだ。

と書いているんだ。悦子がやったことってまさにこのことだよね。

■語らないことで語っている

『遠い山なみの光』は、明確な主張がない小説なんだ。命の尊さとか、外国暮らしの大変さとかを語りたいわけではなく、ただひたすら悦子という一人の女性の生き様が語られているんだよ。読み終わった時に「結局何が言いたい小説なの?」って思ってしまう人もいると思う。実は明確な主張がないのは、カズオイシグロが読者に文字におこされていない感情を想像させたいからなんだ。果たして悦子はどういった感情で過去を振り返ったのか。

悦子は娘を自殺で亡くして、夫も数年前に他界している状態にありながらも、淡々と過去を語っている。だけど最後に「景子も幸せだったのよ。」と言ってしまうんだ。この一言で、今まですずしげに語ってきた過去が、娘を亡くした悲しみと、イギリスに連れてきた後悔と、過去を正当化させたい虚栄心と、これから生きていく不安と、明るく振る舞いたい辛さと、今にも逃げ出したい恐れと、他にも色んな感情が全て合わさりながら、話していたことがわかるんだ。小説の中で直接書いてはいないけれど、悦子に隠された感情が読み取れる。つまり語らないことで語っているんだ。

本当はカズオイシグロはこの最後の一言も書きたくなかったんじゃないかな。でも書かないと流石に真意を読み取ってはくれないからしょうがなく書いたんだと思う。

例えば、飲酒運転事故で娘の命を奪われた父親が、飲酒運転を犯した人に対して「お怪我はありませんでしたか」とだけ言ったとしたらどう感じる?その一言だけで、裏には数えきれない膨大な感情があって、それを必死に押し殺していることがわかるよね。語らない方が伝わる。そういった場面もあるんだよね。そして『遠い山なみの光』はまさに語らないことで語ってる小説なんだ。」

このnoteは、本棚で手と手が重なるような、偶然の出会いを生み出す書店「Chapters」で選ばれた小説を取り上げて書かせて頂きました。
2021年2月の選書にて本作が紹介されていますので、この本が気になる方、そしてすでにこの本が好きでたまらない方も、Chapters覗いてみてください。
また、以下のnoteも「Chapters」で紹介されている小説を取り上げて書いたものです。合わせてご覧ください。



この記事が参加している募集

読書感想文

お賽銭入れる感覚で気楽にサポートお願いします!