東野圭吾のデビュー作 「純粋な感情が描かれている」
このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。
【東野圭吾の作品を語る上でのポイント】
①経歴に触れる
②少年時代を語る
③トリック以外に着目する
の2点です。
①に関して、東野圭吾はスポーツマンで、剣道やスキージャンプの他、大学ではアーチェリー部の主将を務めていました。そのため作品にも数多くのスポーツが題材になっています。
②に関して、東野圭吾は少年時代ほどんと読書と無縁の生活を送っていましたが、高校時代に小説に目覚めました。幼少期から文学に親しんできた小説家が多い中、いわば異色の経歴を持っています。
③に関して、推理小説はトリックに着目されがちですが、東野作品はそのトリックの根底に社会問題や人間の心理があります。その部分に焦点を当てて語るとカッコ良いです。
○以下会話
Chaptersのお客様へ
ここからは存分とネタバレが展開されます。Chaptersのお客様は、本を読んでからの方がお楽しみいただけるかと思いますが、読んでから選ぶというスタイルもありますね。お任せ致します!
■人気作家のデビュー作
「そうだな、そしたら東野圭吾の『放課後』がオススメかな。これは約100作品の小説を書いている東野圭吾の第1作目に当たる小説なんだ。
東野圭吾は今や日本で一番有名な小説家の一人で、小説を直接読んだことがなくても、ドラマや映画で誰もが一度は彼の作品に触れたことがあると思う。1985年にこの作品でデビューして以来、ガリレオシリーズとか、マスカレードシリーズとか、たくさんの小説を書いているんだ。どれもびっくりするくらい面白くて、どこからネタが出てくるのが不思議に思えるよね。そんな東野圭吾の作品を語るには、やっぱりデビュー作の『放課後』は欠かせない存在なんだ。
■何者かに命を狙われてる
『放課後』は、私立清華女子高校の数学の教師でアーチェリー部の顧問の前島が、命を狙われながらも2つの殺人事件の真相を迫る推理小説なんだ。
主人公の前島は、元々家電メーカーに勤めていたけれど、転勤を機に仕事を辞め、母親のツテで今の女子校に来た教師なんだ。元々やりたい仕事ではなかったけれど、学生時代に教員免許を取っていたから、とりあえず何年かやってみるかという、軽い気持ちで教師になったんだ。
そんな前島が教壇に立ち、一番最初の授業をやると、すぐに自分が教師に向いていないと確信したんだよ。というのも生徒たちの視線に耐えられなかったんだ。
今まで人に注目されて来なかった人生だから、生徒たちに一挙手一投足注目されることが苦痛だったんだよ。だから授業中は雑談なんて一度もしない、レールに沿った授業をするだけの面白みのない教師になったんだ。
そんな害のない前島が、なぜかここ数日何者かに命を狙われている気がしたんだよ。放課後に校舎の脇を歩いている時に上から鉢植えが落ちてきたり、通勤時にホームから突き落とされそうになったりと、誰かが自分を殺そうとしていたんだ。
そんなある日、村橋という教師が、教師用の更衣室の中で青酸中毒によって殺されていたんだ。そしてその更衣室には中からつっかい棒が掛けられていて完全な密室になっていたんだよ。
警察に届けてこの密室トリックを解いている最中に、体育祭の当日にまた一人教師が殺害されてしまうんだ。そしてこの殺人は、どう考えても前島のことを狙ったもので、偶然その殺害された教師と入れ替わったことで逃れたものだったんだよ。前島は一体誰が、何の目的で自分を殺そうとしているか真相を追求していくんだ。こういったストーリーなんだ。
■人間の純粋な感覚
この小説のポイントは、人間の普遍的な感情を描いている点なんだ。もちろん密室トリックを暴いたり犯人を見つける推理が話の核にあってそこが面白いんだけど、この殺人の動機の設定が東野圭吾の凄さを物語っているんだよ。
ネタバレになるから詳しくは言えないけれど、『放課後』での一連の殺人の動機は、お金とか不倫とかではなくて、もっと純粋で美しいものなんだ。取り繕ったものではない、人間の普遍的な感情が犯行の動機にあるんだよ。
一般的な推理小説とか推理漫画は、いかに巧妙なトリックを仕掛けて、ミスリードさせて、最後に面白く明かすかに焦点が置かれているよね。それはそれで楽しくて十分なんだけど、東野圭吾の作品は、ただの謎解きに終わらずに、人間の普遍的な感情とか社会問題を題材に推理小説を書いているんだ。
ただの不倫とかお金が理由の殺人を書くのではなくて、例えば子どもの貧困だったり、死刑制度だったり、医療問題を根底に小説を書いているんだよ。ただの推理小説のジャンルを超えているから、ゆくゆくは直木賞もとっているんだ。『放課後』は、江戸川乱歩賞を受賞した作品だけど、推理小説というジャンル小説の枠からはみ出た規模感を、既にこの作品から見出せるんだ。
■難しくない軽い文章
東野作品の魅力の一つに、文章の軽さがあると思うんだ。彼の文章は文豪が書くような芸術性の高い文章ではないんだよ。軽くて理解しやすくてスラスラ読めてしまう。このくらい僕でも書けるかもって思ってしまうくらいなんだ。だけど、その軽さが東野作品の人気の理由だと思うんだよ。
東野圭吾の小説は、本が好きな人だけではなくて、普段本なんて読まない人からも人気があるよね。僕自身、本が好きですって言った後「あー東野圭吾なら読んだことある。」って100回くらい言われてる。
東野圭吾の小説が、こんなにも「読書嫌い」な人に読まれているのは、もちろんトリックの面白さもあるけれど、文章が単純明快でわかりやすいからという理由が大きいと思う。文章がわかりにくかったら、そもそもトリックが明かされる前に読み疲れちゃうからね。
面倒な比喩表現とか凝った心理描写がないから、本に親しんでない人でも読めるんだよ。例えば今回の小説の体育祭の描写なんてすごいわかりやすいんだ。
九月二十日、日曜日。鬱陶しい雨が上り、夏を思い出させるような強い陽光がグラウンド上にふり注がれた。目にしみるようなブルーが空一杯にひろがり、風は乾いて冷たい。絶好の体育祭日和だ。
いつもより三十分早く学校に着いた私は体育教官用更衣室で着替えを済ませると、早速グラウンドに出て行った。早くも目まぐるしく動いているのは生徒達だった。一週間から十日がかりで作られたマスコット人形を晴れの舞台へ運び出す一郡がある。<中略>またグラウンドの端には、応援の振り付けを練習しているグループがあちこちに見られた。応援は二年生の仕事である。その横では走っている者もいた。リレーのバトンタッチの練習をしているらしい。
なんの難しい表現もなく簡単な言葉が並んでいてわかりやすいよね。だけどちゃんと、みんなが楽しく忙しなく動き回ってる様子が伝わってくるよ。そして自分が経験してきた体育祭(運動会)の記憶と重なって立体的に情景が見えてくる。この軽いけれどしっかりと伝わる描写が東野圭吾の文章力なんだ。
『放課後』は王道の密室トリックに正面から挑みながら、社会に目を向けた東野圭吾らしい姿勢がみられる良書だからぜひ読んでみて。」
このnoteは、本棚で手と手が重なるような、偶然の出会いを生み出す書店「Chapters」で選ばれた小説を取り上げて書かせて頂きました。
2021年2月の選書にて本作が紹介されていますので、この本が気になる方、そしてすでにこの本が好きでたまらない方も、Chapters覗いてみてください。
また、以下のnoteも「Chapters」で紹介されている小説を取り上げて書いたものです。合わせてご覧ください。