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坊主バーのクラウドの話が面白かった件

チカクのChief note Officerのカジケンです。

先日、坊主バーの店主をされている藤岡さんにお話を伺う機会がありました。のっけから坊主バーって!なにこのパワーワード。

真面目にバーの店主を坊主が19年間やってるワケ

ぶっちゃけネタでやってるのかと思ったんですが、ガチで本職のお坊さんが、新宿区四ツ谷三丁目で袈裟を着て19年間もバーを開いてるという。本気ですな。

リピーターも多いらしく、バーカウンターでお酒を作りながら接客し、女性のお悩みごとだったりを普通に聞いてるそうです。最近は外国人のお客さんも多いとのことで、インスタやWeiboのアカウントとか貼ってました(笑)

想いは至極真っ当で、仏教が(正確には藤岡さんは浄土真宗)、最近の社会に対応できていない状況をなんとかしたい。色んなところで、法事のときだけでなく、もっと日常の生活の中で人に寄り添えるようにしたい、お釈迦さまの教えを届けたい、というもの。お店の中には仏壇もあって説法したりもしているとのこと。でも当初は坊主がバー開いて酒を出すとはどういうことだ!みたいな電話も結構来たりしたようです。

いやーいいですよね。こういう人好きです。

面白かったので色々と質問しまくってたんですが、お話の中で「法事をもっとカジュアルにしたい」と藤岡さんは仰っていました。

そもそも法事とか仏壇ってなに?

年忌法要は、年回法要ともいい、一般に法事と呼ばれているものです。
亡くなった翌年が一周忌、その翌年の2年後が三回忌です。三回忌からは亡くなった年も含めて数え、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌と追善供養の法要を営みます。

要は亡くなった方を偲んで供養する会が法事なんですね。(いやそれ自体は知ってたけど、それ以外にも法事ってあるかと思ってました)

自分は祖父が大好きだったのですが、法事の際に親戚一同集まって、お酒を飲みながら、自分が知らなかった祖父の色んな逸話をみんなが楽しそうに話をしてたのを見て、「あーじいちゃん、良い人生だったんだろうな」とぼんやり感じてたりしました。

坊主バーにいらっしゃるお客さんの中には、実家やお墓が遠い、日程が合わない、故人との関係上難しい(内縁のパートナーや同性婚は、戸籍上他人なので喪主にもなれない、とか)など、色々な理由で法事に参加できない。でも故人が好きだったし偲びたい、という悩みを抱えてバーにいらっしゃる方もいるそうです。そこで、藤岡さんはバーの隣のスペースを使って、故人のゆかりの品を持ってきてもらうなどで、藤岡さんがそこでお経をあげる、という試みを始めるとのこと。

自分は淡路島の農村出身なのでよく分かりますが、田舎の法事は自宅の仏壇を囲んで、親族以外は近所の人が仕事の手を止めて三々五々集まってくる感じでした。なぜかというと人間関係が血縁以外はほぼ近所の人だから。ほんの100年ぐらい前までは日本の大半はそんな感じだったはずで、今はメモリアルハウスとか言ったりして自宅以外の場所が多いとは思いますが、基本的な仕組みはほぼアップデートされないまま今に至っていると思います。

ちなみに仏壇ってなんなんですか?と藤岡さんに聞いてみたら、仏壇は日本で生まれたもので、元々はお寺の奥に安置されているご本尊(礼拝する対象ですね)を、お寺に行かなくても各家庭内で礼拝できるようにするためのものだそうです。つまり仏壇に祀られているものは本尊のコピーなので、仏壇というのはお寺のコピーというか、お寺というオリジナルに対するWindowsでいうショートカット、Macでいうエイリアスなんですよね。

人はなくなったら仏様になるという考えがあるので、あとになって仏壇にもともと祀られている本尊に加えて、ご先祖様も一緒に祀るようになり、結果として「仏壇 = ご先祖様」に線香をあげる、みたいな感じになった模様。

仏壇やお墓と故人、クラウドと端末の関係って似てるよね

仏壇とお墓と故人の関係を、以前Twitterでクラウドとサーバや端末との関係に例えて的確に表現しているツイートがバズってたので、その話を藤岡さんに振ってみたら「いや本当にそのとおりですね!」とめちゃくちゃ同意してました。

つまりは、(人間の五感では知覚できない)クラウドにいる故人にアクセスできる端末が仏壇やお墓、みたいな感じですかね。

仏壇が生まれた当時、そもそもお寺やお墓というごく限定した場所に行かないと礼拝や供養できなかったものを各家庭内に開放しちゃったわけだから、きっと大昔にも「けしからん!」って言う人はいたと思います。お寺の本尊の分身つくるとか不謹慎だ!最近の若いものは!みたいな。まーでも仕組みとしてはそうやって、みんなに便利なようにきちんと進化したと。

だったら、現代ではスマホで故人を偲べるような仕組みがあっても良いし、Skypeみたいな形でリモートでお坊さんがお経読んだりしてくれたってバチは当たらなさそう。

ネットで調べてみると、スマホ内にバーチャル仏壇をつくれるアプリとかありました。やっぱり考えますよね。

こういった昔からあるものをそのままスマホ対応させる、みたいなアプローチも当然あるかと思いますが、解体して現代にあった形で再構築するやり方のほうが個人的には可能性を感じます。

現代における他者を想う仕組みの再構築

以前、MIT Media Labの石井裕教授(@ishii_mit)の講演ですごく感銘を受けたのは、亡くなられたお母さんが自作されていた短歌をTwitterのBotにしてたこと。しかもそのBotのツイートにメンション飛ばしたり、引用RTしたりして、ネット上である意味お母さんと対話をしてる。

石井教授はクラウド上にお母さまのお墓をつくっている。TwitterのBotをつくり、生前よくお母さまが自作していた短歌をランダムにそのBotがつぶやくようにしているのだ。お花はそのTwitter botをフォローしている方から贈られたものだった。
 「母が生きている。そんな感覚でした。僕はそのことにとても感動しました。」
 「人間というものは有限の存在です。死んだらその人自身の記憶もなくなってしまうし、さらには時間が経つと、その人に対する周囲の記憶も薄れていってしまう。しかし、この命日にお花が届いたことがきっかけで個人のメッセージや思想が、その人の死後も永遠に世界に良い影響を与える「可能性」を感じたのです。
"パリのルーブル美術館に行ったときに、自分のひいおじいちゃんや、亡くなった恩師が、同じ場所にたたずんでどんなことを思ったか、彼らのツイートをひもとける。そんなサービスがあったらどうか。またガウディの建物について、世界中の建築家や写真家が、思いをみんな綴っている。それを共有する。クラウドとソーシャルメディア、それを使ってどんな価値を見いだせるのか。情報流水が還流するエコシステムの中で、どんなものが創造できるのか。"

京都に以前行った時、有名なお寺の前に親鸞上人没後750年とか大きく看板が出ていて、750年経っても思い出される仕組みが勝手にできてる人って凄いな、と。(本人が狙ったわけではないでしょうけど)

遥か過去から俯瞰してみると、一部の人が持ってる特権の民主化がずっと起きてるのが時代の流れなので、普通の人がもっと気軽に想われる、偲ばれるようにすることって大事だと思うんですよね。(別に750年後に思い出されなくてもいいけど、自分が関わったことがある人達に思い返してもらえるので良いかと・笑)

場所や時間に縛られない時代になってくる中で、誰かを偲ぶことだってもっと自由にいつでもどこでも誰とでも出来るようになったらいいのにな、と思います。

おわりに

自分たちは物理的に遠くの人たちを隣にいるかのようにチカク(近く、知覚)できるよう日々頑張ってますが、さらにもっと遠いはずの人たちを古来から繋ごうとしてきたお坊さんって素晴らしいし、現代にあった形でそれをアップデートしようとしている藤岡さん、最高です。

人を想う、その人を想いながら祈る、その行為自体は古来から不変であるし、想う相手が生きてようがいまいが、その気持ちに寄り添えるサービスや仕組みって素敵だな、と思います。

自分たちも負けじと頑張ろう!

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