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かじかわの歩み

はるが更新を遅らせてることを
言ってたそばから私も遅れました。
人の振り見て我が振り直せ。
全くその通りだなと思います。

いつもはるとのことを書いているので
はるに出会うまでのことをつらつらと
書いてみようと思います。

はるは和歌山出身、僕は大阪出身で
出会ったのは社会人になってからです。
つまり、出会うまでの間に
24年間の空白がある訳です。
その24年の間に何があったのか、、、

■幼稚園
母の好みでノースコリアン総書記カットを
施されておりました。
当時、ダサいという言葉は
知りませんでしたが、
幼稚園でモテていたジュン君と比べた時
僕の髪型は何かこう、、、
言葉にできない総書記感が…
と感じていました。

■小学校
自宅にてカブトムシ、クワガタムシを
一生懸命に育てておりました。
当時の夢は虫屋さんを開き、
億万長者になることでした。
頑張って育ってた結果、
卵を産んでカブくん二世が誕生!
喜びも束の間、
幼虫の見た目が無理すぎて
近くの雑木林にリリースしました。

■中学校
入学してすぐ、ソフトテニスを始めました。
まさかここから今に至るまで続けることに
なるとは当時は思いもよりませんでした。
よくよく考えると僕の親友と呼べる人達は
中学時代ソフトテニスを通じて出会った
同じ中学、隣の中学の人達です。
やってて良かったなと思います。


■高校
この頃は髪の毛は
外にハネてればハネてる程
かっこいいと思っていました。
体育祭のリレーで盛大に転んでしまい、
友達から死ぬほどイジられたのも
今は良き思い出。

■大学
引き続きソフトテニスは続けてましたが
大学3年で辞めて、
自分でお遊びスナップサークル作ってました。
圧倒的なイキりミス。
しかし、それに気付くことのできないのが
男子大学生の悲しい性。
当時、一目惚れして2年付き合った人に
フラれ、その後4年間引きずるという
女々しさを炸裂させました。


■社会人
就職してすぐ東京に。
社会人になっても
スナップを続けていました。
そのおかげもあって
上京している関西人の会
に呼んでいただけました。
そこではると出会いました。
次に付き合う人とは
結婚しようと決めていたので
はるとお付き合いしてから
同棲するとなった時に
はるの御家族に
挨拶させていただきました。
そこから約3年で結婚しました。

長々と書いてしまいましたが、
就職して、上京して春に出会えて
本当に良かったと思います。

これからもよろしくです。

■Instagram
はる:@harukaji_かじ:@kajikamuwa

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