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失敗を隠して生きてきた私が気づいたこと



 わたしは人生31年間過ごしてきた中で、後悔している失敗が1つある。

 それは、わたしが大学4年生の時。
 当時、体育会系の大学に進学し、ラクロス部に所属していた。毎日練習に明け暮れ、部活の仲間と四六時中一緒にいる生活を送っていた。
 わたしが所属していたラクロス部は、ほとんどがラクロス未経験の人たちが入部する。みんなスタート地点は一緒。だからこそ、レギュラー争いも激しく、学年問わず上手ければ、1年からレギュラー(Aチーム)になっている人もいた。わたしは、これまでずーっとBチーム。悔しくて悔しくて、、。今年こそは絶対Aチームにあがって試合にでてやる!と意気込んでいた。
 その時事件は起きた。大会直前の夏合宿最終日。宿舎からバスで20分ほど移動して、練習場のグラウンドでアップなど練習前の準備をしていた。わたしもいつもの通りに、スパイクに履き替え、クロスやマウスピースを出そうとしたら、マウスピースがないことに気づく。いつも入れているケースの中や、鞄の中、すべて探しても見つからない!そう。宿舎の部屋に忘れてきてしまったのだ!!
 その当時安全面から、マウスピースがないと練習できないことになっていた。
 一瞬で焦るわたし。どうしよう。このままだったら、練習に参加できない。Aチームにあがるためには、この夏合宿の練習でアピールしなければいけないのに。最後のチャンスなのに!冷静さを失ったわたしは、監督に頭を下げ、宿舎まで車を出してもらうようお願いした。
 無事マウスピースは見つかり、練習にも参加できるようになった。しかし、監督が抜けていたため練習は時間も推し、雰囲気もピリついて最悪。アピールするどころの話ではなかった。
 後悔している点は、この後のこと。
 その日の夜の全体ミーティングで今日の練習について話し合うことになった。もちろん、マウスピースの件も議題にあがったが、わたしは一言も発言できなかった。何が起きたのか?なぜそうなったのか?そして、みんなの貴重な時間を無駄にしたことへの謝罪も、何一つ話せなかった。同じ学年の仲間には話し謝罪もしていたが、どうしても全学年の前だと、話す勇気が持てなかった。そして、わたしはその件に関しては何も明かさないまま、なかったかのように時が過ぎていった。


 あれから10年くらい経つが、いまでもあの時の嫌な記憶は思い出す。ミーティング中の張り詰めた空気、謝りたい!けど言えない。心の葛藤。あの時と同じように辛くなる。
 なぜ、あの時本当のことを言えなかったのだろうか、「ごめん」の一言がいえなかったのだろうか。ぐるぐるとマイナスな事ばかり考えていると、後悔
している自分も嫌いになる。そうすると、あの事件は仕方なかった、あの場の謝罪から逃げたわたしは悪くない、と正統化する自分も現れた。

 そんな時、人生を変える言葉に出会った。そう、ひすいこうたろうさんの名言セラピーだ。

「人生は起きた事の見方で変わる。目の前で起きた問題を否定的に捉えるのではなくて、どう受け止め、肯定的に捉えるかだ」
(*私の解釈に合わせて言葉を変えています)

 そんな言葉が流れる動画を食い入る様に拝見し、ようやく気づいた。
 あぁ、わたしは失敗した自分を受け入れられなかったんだと。わたしは、無意識の中で
・失敗したらダメだ。
・失敗したら恥ずかしい。
・成功(良いところ)を見せないと認めてもらえない
と考えていた。だから、失敗した自分を認めたくないから、謝ることから逃げた。逃げたら隠せると思っていた。(隠す癖がついていた)

 だけど本当は、
・失敗しても良いんだよ。チャレンジした証拠じゃん!
・失敗しても素直に話したら、周りの人もわかってくれるよ
・失敗した自分もかっこいいよね
そのように自分を許したかった。そして、失敗した自分も受け入れて、許し、愛したかったんだなと気づいた。そう思えたとき、すぅ〜っと心が軽くなり、黒くこびりついていたモヤモヤが無くなっていくのを感じた。ぎゅうっと自分の腕で、自分を抱きしめた。


 今わたしは2児の母親。上の子は、3歳になる。イヤイヤ期を経て、自分でできることも増えてきたころである。それでも、まだまだできない事も多く、ご飯を食べるたび食べかすはこぼすし、食器に手が当たり水がぶちまかれる。トイトレも上手くいく日もあれば、ズボンやパンツに漏らす日もある。(こどもだから当たり前なことなのだが、、)それでも、ついカッとなって、「ちょっと!こぼさないでよ!!」とか「ああ〜またか」と怒りをぶつけてしまうことがある。
 そんな時に、ハッと気づく。『チャレンジしようとしているから、失敗してるんだよね』
 その思考に戻れたら、どんな些細な失敗でも「ナイスチャレンジだよ」「上手くできなかったけど、〇〇はできたね」と、挑戦したこと、今できていることに目を向ける様にしている。

 昔経験した『失敗への後悔』は、今息子に『失敗への大切さ』を伝えるために経験したことなんだと思う。もしあの経験がなければ、今も息子を頭ごなしに怒っていたかもしれない。出来ない事や失敗したことばかりに気が取られ、ダメな子だと蔑んでいたかもしれない。(そんなことは、絶対にしたくない)
 あの経験があるから、今のわたしがいる。すべて繋がっていて、すべてわたしにとって必要なことだったんだ。

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