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ユーチューバー 8/100

村上龍『ユーチューバー』(2023, 幻冬舎) を読んだ。

龍さんの本は基本的にすべて買う。かれこれ三〇年来の習慣だ。最新作であるこの本も、発売されてすぐに買った。けど、そのまま書棚に並べたまま半年近く取り出すことはなかった。

以前だったら、買ったその日に読み終えてた。

先日、思いつきで龍さんのことを文章に書いていて、「そう言えば」と思い出し、読み始めた。

二時間ほどで読み終えた。

なんというか、寂しい作品だった。

龍さん自身がモデルであろう矢崎健介という七〇才の老作家が、「世界一もてない男」と自らを卑下する中年ユーチューバーに向かって、自身の女性遍歴を淡々と話しつづける。基本的には、それだけの話だ。

主な舞台はコロナ禍で稼働率が10%まで低下したという高級ホテルのスイートルームだ。

主な登場人物は、老作家と、中年ユーチューバーと、老作家の彼女である三十代か四十代か五十代の女性の三人であるが、ホテル内でのやりとりの場面に関しては、この世界に生きているのはこの三人だけかのように描かれている。

他者の気配がない。物語全体が静まり返っている。

老作家は一人なのかもしれない。「ユーチューバー」も「彼女」もいないのかもしれない。老作家が心の中につくりだした架空の話し相手なのかもしれない。

他者のいない世界
自己の内面に閉じ込められた世界
向き合う相手が自分しかいない世界

読んでて息苦しくなる

ユーチューブの撮影場所となるのは、中年ユーチューバーの住居である築三〇年近いマンションなのだが、そんな庶民的な場所で、自らの過去を、さえない中年男に向かって淡々と語る老作家の姿は、なんとも寂しい。

洗練されたコメントや映像喚起的な独特な描写は変わらない。けど、状況や文脈は、昔とまるで違う。かつて金に糸目はつけず、好奇心の赴くままに世界中を駆け回り、怒りと苛立ちを隠すことなくエネルギーを撒き散らしていた、生命力そのものが人の似姿で服着て動いてるように思えた、当時の面影はない。

「思い出を語るようになったら、終わりだ」みたいなことを、昔どこかで龍さんが言ってた(書いてた)気がする。

龍さんの今の心境は、実際こんな感じなのだろうか?

あくまでフィクションとして、老いと死の匂いと閉塞感がもたらす心情を、一作家として、持てる技術を駆使して、描き出そうとしただけなのか?

今の世の中で、これからの世界で、もっとも切実な課題のひとつが「老い・死に向き合う」ことだという確信が、龍さんにはあるんだろうな

そして、その課題への一意の答えはなくて、「オレはオレでやるから。みなさんもそれぞれ危機感もって考え、行動したほうがいいよ。まぁオレはどっちでもいいけど」みたいな感じかな

兎にも角にも、寂しい作品だった。

最後に、印象に残った文章を一つだけ

だいたい世の中の人って、みな用事で生きている。兵士から大統領までみんなそうだ。不思議なことに、あんただけは、何をして生きていくのかは、わからないけど、用事がない生き方をする人だなって、そう思ってた、そうヨウコは言ったんだ。

用事のない生き方、誰かに何かを強制されることのない生き方、つまりは自由であるということ。

そんなふうに生きてきた人が、老いという避けがたい制約によって、かつての自由を徐々に失っていくとき、その現実にどんなふうに対処してゆくのか。

龍さんが、自分のことを「自由」だと思ってるのかどうかは分からないけれど、誰しも避けられない老いという現実に直面して、かつてないハードなチャレンジに挑んでいるのかもしれないなと思った

あと二冊積読になってる龍さんの作品が書棚にあるのを思い出した。

『心はあなたのもとに』(2011, 文藝春秋)『MISSING 失われているもの』(2020, 新潮社)

いい機会なので、読んでみようと思う

あと、龍さんがちょうど今の僕と同じくらいの年齢の頃に書いた作品も再読してみようと思う。

『共生虫』(2000, 講談社)
『希望の国のエクソダス』(2000, 文藝春秋)
『タナトス』(2001, 集英社)
『THE MASK CLUB』(2001, メディアファクトリー)
『最後の家族』(2001, 幻冬舎)

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