読書感想文について
仕事から帰ると、小学生の娘氏が珍しく自分から寄ってきて二枚の原稿用紙を僕に向かって差し出した。眉間にはシワが寄りいささか険しい表情だ。
「どした?」
「これね、読書感想文なんだけどね、どうかね?」
「どうって?」
「これでいいかね?」
「うーん(好きに書いたらいいんじゃない?と言いそうになって、待て待てとブレーキをかける)読んでいいん?」
「うん」
「どこらが気になるん?」
「どこって言うか、なんか、これでいんかなって...」
娘氏は、家族の前ではエゴ丸出しの傍若無人ぶりを隠すことはないが、学校ではなかなかの優等生だと聞いている。何よりも嫌いなのは「先生に注意されること」らしい。つまり、彼女の悩みは「この文章で、先生につっこまれることはないかね?」なのだろう。
僕はそう推測し、娘氏に確認をとった。
「そゆこと」
娘氏はあっさりそう答えた。
僕は娘氏の書いた読書感想文にサッと目を通した。ネタはマザー・テレサの伝記だ。娘氏はマザーの偉業のいくつかを例に挙げ、それらが普通の人にはできないいかにすごいことかの説明を付し、自分もマザーのように社会貢献ができる立派な大人になりたいと結んでいた。
「よく書けてんじゃん。どこが気になるん?なかなかのもんよ。問題なしよ」
僕は原稿用紙を娘氏に返しながら、そう伝えた。
「うーん、じゃあいっか」
娘氏の眉間のシワは7割ほど軽減し、受け取った原稿用紙をあっさりとランドルセルにしまった。宿題はこれで完了らしい。
僕は、せっかくなのでとマザーのことを娘氏に尋ねてみた。
「てか、オレマザーのことをあんま知らんけど、ヤベー人なのね」
娘氏のギアが一気に上がった。
「そうなんよ!ヤバイんよ!」
感想文には書いていなかったマザーのその他の偉業、刺さった言葉などを速射砲のごとく喋り始める。僕はただ、そりゃヤバイ、こりゃヤバイ、とただヤバイを繰り返しながらそれを聞いた。
この反応からすると、他にも紹介したい書きたい事柄がたくさんあったのに、盛り込みきれなかったのも不全感の一因だったと推測される。
ひとしきり喋り終え、娘氏はギアを落とした。そしてポツリと本音を漏らした。
「ただね、私、風呂入ってない人とか絶対ムリなんよ。マザーみたいになりたい、人に親切にできる人になりたいって書いとるけどね、絶対ムリなんよ」
なるほど。そういうことなのね、、、
娘氏が感想文に書いている思いに、おそらくウソはない。マザーの偉業に感動し、感嘆し、自分もこんな立派な人になりたい、誰からも好かれ、感謝され、人を幸せにし、尊敬される人になりたい、そんな気持ちにウソはない。多分。
ただ、じゃあいざ自分がマザーと同じ環境にいたら、とイメージできる想像力が今の娘氏には育っている。病人、飢餓、貧困、悪臭、虫、エトセトラエトセトラ。大好きなマンガもテレビもスマホもカワイイ服もエアコンもお菓子も自分だけの部屋もない世界をリアルに想像することができる。
「ムリムリ」
至極当然の素直で自然な反応だ。なに一つおかしなところ、間違ったところはない。
ただ娘氏は、それは学校では言ってはいけないことだと思っている。不適切な言動として拾われ、修正をかけられる可能性を察知している。
娘氏の眉間に現れた深いシワは、先生に突っ込まれないだろうかという不安だけでなく、自分の正直な気持ちを隠しておかなければ身を守れないという息苦しさの表現でもあったのだろう。
「そうよね。汚いの嫌よね。今より貧しい環境とかムリって思うよね。それが正直なとこよね。口ではなんとでも言えるけど、実際行動に移せる人なんて、大人でもほとんどいないよね。先生だってできないよ。無理無理。だからこそマザーは偉大なのよ。みんなが無理なことやったから。ただね、そうやって言いにくいこととか正直な気持ちをみんなの前で言えるのだってすごく勇気のいることだよ。素晴らしい」
学校でそんな風に言ってもらえる確率はほぼゼロだと、娘氏はちゃんと見切っている。ゼロは言い過ぎかな。ごめんなさい。
なので、とりあえずウチでは本音を思い切り吐けるようにしといてあげなきゃ。じゃなきゃイキモノとして不健康極まりない。
そんな風に思ったのでした。
振り返ってみれば、僕も読書感想文は大嫌いだった。読書は大好きだったけれど、読書感想文は大嫌いだった。なにを書いたらいいのか分からないまま帳尻を合わせ、できた文章を読み返して毎回絶望的な気分になり、絶望的な代物を提出することで、さらに気分が悪くなった。
今だったら、多少はましな代物が書けるだろうか。ちょっとチャレンジしてみよう。
自分ができないことを、できないままにして、他人様にどうこう言うのは(相手が我が子であったとしても)どうかと思うのでw
スラッと書けるかな、、、小学生の頃から多少は成長しているだろうか。
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