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不登校雑考①イントロ 21/100

●急増する不登校

「不登校」が急増しているらしい。

わが国の教育部門を取り仕切っている文部科学省は、「不登校」を以下のように定義している。

長期欠席者(年間30日以上の欠席者)のうち「何らかの心理的,情緒的,身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にある者」ただし,病気や経済的な理由による者を除いた者をいう。

文部科学省「学校基本調査」

「不登校が増えてる」というのはここ数十年ずっと言われつづけてきたことで、重要な社会課題の一つとして認識されている。

ただ、ここ最近の増え方はちょっとケタ違いのようだ。

グラフを見れば、コロナ禍が本格化した2020年以降、増加の勢いが急激に増しているのは一目瞭然である。

●どのくらい増えてる?

29万9048人

これが、2022年度の小・中学生合わせた不登校生徒数だ。小・中学校の在籍児童全体の3.2%にあたる。前年度比で22%増加しているらしい。

ちなみに、ここ30年で小中学生の数がどのくらい減っているか、ご存知だろうか?

【小中学生の人数の推移】
1474万2457人(1990年)
 ↓
 951万1912人(2020年)

文部科学省「学校基本調査」

520万人(36%)減少!

これは、兵庫県(546万人)とか北海道(522万人)とか福岡県(513万人)といったエリアが丸々一つ消失したくらいのスケールだ。ヤバい...

子どもの数はどんどこ減って過去最少を更新しつづけている。その一方で、不登校者数は過去最多を更新しつづけているわけだ。

あと、あたりまえの話だけど、一口に不登校と言ってもいろいろだ。

「週一回ペースの欠席がルーティンになっているが、他の日はフツーに登校できてる生徒」もいれば、「ずっと元気に登校してたけど、なんらかの理由である時期に丸々一ヶ月欠席してしまった生徒」もいれば、「一年間にわたって一度も登校せず、自宅に鬱々と引きこもっている生徒」もいれば、「一年間にわたって一度も登校していないが、毎日元気に過ごしている生徒」もいたりする。この四パターンだけでも状態像は全然異なる。だけどデータ上は同じ「不登校」と括られることになる。

●長期欠席と不登校の違い

ちなみに「不登校」と「長期欠席」は定義上イコールではない。

今回発表されたデータによると、年間30日以上の「長期欠席者」の数は

46万648人

らしい。これは小中学生全体の5%にあたる。

一般的な意味で「日常的に学校に通っていない/通えていない」と見なされる生徒さんは、全体の約5%に達しているわけだ。

ここから、病欠扱いの者、家庭・経済的な事情で学校どころではない者、出席扱いにならないフリースクール等に通っている者など、不登校の定義に該当しないケース(16万1600人; 長期欠席者全体の35%)を差し引いて、残った者(29万9048人; 在籍児童生徒全体の約934万人のうち3.2%)が「不登校」としてカウントされることになる。

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僕の仕事の一つは、スクールカウンセラーだ。不登校支援は重要なミッションの一つだ。「登校したくても登校できない生徒さん」が増えつづけているという状況を改善に向かわせる、専門家としての責任を負ってるわけだ。

「増えてるらしい」なんてのは、無責任との誹りを受けてもおかしくない言い草かとも思う。

それはそうなんだけど、でもここではあえて、市井の一中年としての雑感を述べてみようと思う。あるいは素朴な疑問について考えてみようと思う。

19世紀ロシアの文豪レフ・ニコラエヴィチ・トルストイの代表作『アンナ・カレーニナ』は、以下の文章ではじまる。

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである

「不登校イコール不幸」というわけではないけれど、不登校について考えると、この文章を思い出す。

学校に通う者の理由はどれも似たものだが、通わない者の理由はいずれもそれぞれに異なる

短絡的かもしれないが、そんなことを思ってしまう。

仕事柄、「不登校」にまつわる悩身を抱える生徒さん、保護者さん、その他の関係者の方たちと話す機会は多い。経験を重ねると、それぞれのケースをサラリとパターン分類し、不登校のタイプに応じたルーティン的な「解決の型」をすんなり適用するなんてスキルも身についてくる。ただその一方で(言い古された表現だけど)、ホントに同じケースは一つもないなという実感も強まっていく。

関わりの接点(窓口)は「不登校」なのだけれど、話し関わることで見えてくる背景や物語は千差万別だ。「無気力」「怠惰」「甘え」なんて言葉では説明しえない。いろんな要素が複雑に、ややこしく絡み合っている。

専門家的なコメントを求められても、「一概には言えませんけど...」という枕詞をつけて、切れ味の鈍い仮説を「こんなものしかお出しできませんけど」と申し訳なさそうに提示させていただくくらいのことしか、できない。

なので、今回はややこしい方よりも先に、単純な方から考えてみることにする。

学校に通う者の理由だ。

一人称で、僕自身の体験や感覚に照らして、専門家として枠組みは脇において、考えてみよう

僕が小中学生だったのは1981年からの9年間だ。ほぼ休むことなく、毎日通ったと記憶している。

一体なぜ、僕は学校に行ってたのだろう?行けてたのだろう?

長くなったので、今日はここまで。

つづきはまた書く

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