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丁寧 51/100

「丁寧」という言葉が好きだ。

てい‐ねい【丁寧・叮嚀】
注意深く心がゆきとどくこと。また、てあつく礼儀正しいこと

広辞苑

目の前の人あるいは対象にピタッとチューニングを合わせ、ホントに大切な求め(目的)だけにフォーカスした、スローで、ミニマルで、穏やかで、親密なやりとり。

丁寧は、そんなイメージだ。

小さなこと(僕の場合は"話を聴くこと")を、丁寧に、日々淡々とやりつづけることで満たされるライフが、最近の望みだ。

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実用日本語表現辞典によれば、「丁寧」とは古代中国で用いられた金属製の打楽器である鉦(かね・しょう)の別名らしい。

軍隊が哨戒(見張り)を立たせる際に敵襲を知らせる合図として鉦(=丁寧)を用いたことから、転じて、「細かい部分にまで注意や気配りが行き届いているさま」を「丁寧」と呼ぶようになったーーそんな逸話があるらしい。

ちなみに「丁寧」は「叮嚀」の略字であり、これら二つの漢字はどちらも「ねんごろ」という字義を持つらしい。

ねんごろ【懇ろ】
・〔人に何かしてあげるときの態度が〕まごころがこもっているようす。きわめて親切であるようす。
「懇ろにもてなす」「懇ろにとむらう」
・互いにうちとけて、親しみあうようす。
「あの家族とは懇ろにしている」
・ていねいであるようす。
・男女の中がむつまじいようす。特に、男女がひそかに情を通じあうようす。

広辞苑

「ねんごろ」というと、どこか隠微な男女関係を表現するものとばかり思い込んでいたが、より広く健全な意味での「親しみ」「良き関係」も含んだ言葉なのだと初めて知った。

二つの鉦が程良きタイミング、位置、強さでジャストフィットするように(すなわち、ねんごろに)打ち合わせられなければ、望みの音を響かせることはできないことから、鉦の別名に「叮嚀」の二文字が充てられたのだろう。

僕の好きな「丁寧」のイメージと、「叮嚀」から想起される金属的な騒々しさは重ならないんだけど、「ねんごろ・ねんごろ」と置き換えられるとシックリくる。

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昨日から、数学研究者の森田真生さんの『計算する生命』(新潮社, 2021)を読みはじめた。

森田さんの文章は、丁寧だ。緻密で、ロジカルで、美しい。大好きだ。

どの文章も魅力的だが、19世紀のドイツの数学者ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の物語に、特に惹かれた。

 数とはそもそも何か。この問いに対して、当時流布していたあらゆる解答に、彼は満足していなかった。特に、数の意味を経験に帰着させようとする経験主義や、心に浮かぶ何らかの観念やイメージに還元しようとする心理主義に対しては、一貫して厳しい姿勢を示した。
 数は、心に浮かぶ主観的な像ではない。数はそんな曖昧なものではない。数は、算術という科学によって研究されるべき客観的な対象である。このようにフレーゲは確信していたのだ。

「数とは何か?」という問いを解明するためには、日常言語では不適と判断したフレーゲは、独自の言語体系を構築するところから始めたらしい。

 フレーゲが求めていたのは、曖昧さと冗長さに溢れた自然言語の欠点を補正し、命題の概念内容だけを記述できる洗練された論理言語だった。このためにはまず、命題を「主語─述語」という形式で捉える観点を手放す必要があった。
 では、「主語─述語」の形式の代わりに、どのように命題を把握すればいいのか。フレーゲは命題を「項と関数」という視点で捉え直していく。

フレーゲは算術のあらゆる定理が、論理的な原理だけから導けることを示そうとしていた。そのためにまず、論理的概念だけを使って、数が定義できることを示してみせる必要があった。

正直、フレーゲさんの仕事の内容はなんのこっちゃ理解できない。数学も論理学も苦手だ。けれど、その仕事の丁寧さと誠実さが、常軌を逸していることはわかる。異常だ。めちゃくちゃカッコいい。

 一つ一つの数を孤立させて意味を問うから、心理主義に陥る。孤立した個々の数の意味を問う代わりに、数は「文という脈絡=文脈」において初めて意味を持つと理解すべきなのだ。これが、「文脈原理」と呼ばれる、フレーゲのこの後の探究を導く指針だ。『算術の基礎』において、彼はこの方針に従い、数の「定義」へと向かっていく。

 注目すべきは、ここまでフレーゲの議論をたどってくると、「数とは何か」という当初の問いが、「数詞が現れる命題の意義」の確定という、言語の次元の問いへと書き換えられていることだ。イギリスの哲学者マイケル・ダメット(1925-2011)は、こうしたフレーゲの議論の構図に、哲学における「言語論的転回(linguistic turn)」の先駆的な一歩を見た。
 実際、デカルトやカントの時代の哲学がもっぱら人間の意識や心を足場としていたのに対し、心理主義と決別したフレーゲは、心から言語へと、探究の重心を移していった。この意味で彼の『算術の基礎』は、この後に続く哲学の「言語の時代」を予告するものでもあった。

ここまでくると、フレーゲさんの仕事は、ヴィトゲンシュタインさんの仕事を介して、僕らカウンセラーの仕事(その方法論)に相当大きな影響を及ぼしていることが分かる。

大切なのは「言葉」であり、それらが交わされ意味を規定する「文脈」であり、そのルールを共有する「関係」なのだという近年主流のセラピーのロジックの源流が、ここにある。

偉大な先人たちの仕事を知るにつけ、自分がなんとフンワリ不誠実な仕事をしてるかを思い知らされる。

もっと丁寧に。
もっと小さくもっと丁寧に。

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ちなみに僕は、「寧」という大好きな文字を含んだ名前を娘に贈った。今、受験生の彼女は、点数稼ぎを最優先してサクサクと効率よく問題を片付けていく受験モードのお勉強ゲームが性に合わず、さりとて集団圧力をスルーして孤高の人として独自のゲームを楽しむこともままならず、塾で、学校で、苦戦葛藤しているようだ。

ジックリ、自分の納得のいくやり方を試行錯誤すればいい。好きなやり方で丁寧にやったらいい。

そう思う。

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