在宅日記 絶望と落ち込みと喜びと。
3月中旬
世間がまだそこまで自粛モードじゃなかったころ。私も例に漏れずまだうかうかと行動していた。
3月下旬
緊急事態な感じが増してきた。さまざまな情報に触れて個人的にも危機感上昇していた。実家に帰る予定は泣く泣く諦めた。だって92歳のおばあちゃんがいるから。そんなの真っ先に私帰っちゃダメに決まってる。おばあちゃんに会いたい。
4月 ビフォー緊急事態宣言
絶望していた。危機感が上昇する私と反比例なまでの会社。リモートワークができない理由とイエスマンばかりを並べる社長。仕事をする中ではいつも無理と思われることをどんどんやってきた社長なのに、なぜ。「やる前からできないなんていうのは社長らしくない」と我ながら金言を吐く。通勤電車が混んでいること、家族に高齢者がいる人は通勤するだけで心の負荷が高いことを伝える。本丸ではないが、時差出勤が認められた。まだ道半ばだ。目指すはリモートワーク!
おばあちゃんに手紙を書いた。
4月 緊急事態宣言の翌日
緊急事態宣言が後押しし、ついにリモートワークが認められた。ありがとう緊急事態宣言。
私は早速リモートワーク申請を出す。我が社でも手探りながらリモートワークが始まった。
4月 アフター緊急事態宣言 1週目
2日間リモートワークをしてみたら、案件などの情報を会社にいる人と家にいる人でうまく共有できず若干混乱する。その結果、チームでだれか1人は会社にいてくれという指示が出る。一瞬まぢかよ、となったが、まあよしとしよう。シフトを組もう。それくらいは受け入れてやろう。
4月 アフター緊急事態宣言 2週目
会社に出社する人を7割削減せよ、という指示が出る。はいよろこんで!と叫びたくなった。
みんなでシフトを組む。
このあたりで小事件(会社のことだけど個人的な)が起きる。ある程度人が集まる会社のイベントがあった。毎回ゲームをしていた。さすがにこのご時世、人と接触するゲームはやらないよな、と思っていたら甘かった。やると言う。強制ではないからNOと言える社員はいいが、まだNOと言えない新入社員はどうだ。ほぼ強制と同じじゃないか。家に高齢者がいたら、本人に持病があったらとか、ちょっと考えるだけでもかわいそうだ。というか会社の信用が地に堕ちるぞ、と思い、やらない方がいいと進言したが受け入れてもらえず、私は自分の無力感、会社への絶望感で座り尽くし(座りながら進言したのだが即NGを出されて返す言葉も出ず、立ち尽くすならぬ座り尽くしたのだ)、堪えきれずトイレに向かい泣いた。自分の無力感に泣いた。自分さえ良ければいいという大人になりたくないと思って泣いた。私はなんだかんだもう中堅社員なのに、自分の思いひとつまともに伝えられないのかと軽く落ち込みながら電車に揺られた。
4月 アフター緊急事態宣言 3週目
落ち込みは、夜を超えるたびに回復していき、もう会社で笑顔になんてなれないわ、と思っていたけれどあっさりしょうもない冗談に笑ってあげている自分がいた。安い。安いぞ自分。
リモートワークにこなれてきて、テレミーティングが増える。思っていたより相手の声はよく聞こえることを知る。お客さんとのテレミーティングを傍聴していたらこちらの会社の人間の独り言までよく聞こえて焦る。後で注意する。
サボってないことを証明せねばと、会社にいるよりリモートワークの方が気を張る状態。肩がこる。そしてリモートワーク太りを痛感し始める。あごの肉をみるのがつらい。iPhoneでのzoomミーティングで自分の顔を直視できなくなる。
4月 アフター緊急事態宣言 4週目
花粉症の季節は終わったはずなのに、くしゃみと鼻水がよく出る。のどもガサガサする気がする。いつもは特に気にしない症状がやけに気になる。会社に行って誰かに何かをうつしたらやだなという気持ちが強くなり、出社日だったが在宅勤務に変更してもらう。当日だったので少し人に迷惑をかける。なるべく早く決断して申請するように心がけるようにする。
リモートワーク導入4周目にして、社長からリモートワークは効率がいいという言葉が出る。あれだけ反対だったのにという驚きと朝令暮改万歳という賞賛を心の中で送る。
少し心に余裕が生まれる。春の光が注ぐ庭を見ながら仕事ができる喜びを知る。
我輩はサラリーマンである。
リモートワーク用の机と椅子はまだない。
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