見出し画像

三年ぶり夢の船出航実現!

想いが募って書ききれるか心配だけどいこう。

さて、この三年間世界のどうしようもないうねりにより止まっていた我らのPasific World号が、お陰様で先日横浜・神戸港共に無事出航したことをここにお知らせします。

この間俺らが止まらずに進んでこれたのも、三年前のクラファン含めて皆さんのお陰様です。まずは多謝!

大阪の同僚たちと船勤務の仲間を送る会@almalio

この三年間

2020年4月。コロナの影響により行ってらっしゃいパーティ翌日に発表されたクルーズ欠航。2005年から船乗りとしてやってきたがこんなことは初めてで、その後も延期に延期を重ね、俺ら自身途方に暮れかけたがとにかく周りのみんなが温かかった。そのおかげで今回の夢の船の再出発がかなったことは言うまでもない。

けど言いたいことはヤマほどあるが、とにかく感謝なのである。

それでも乗りたかったけど調整に調整を重ねて乗れなかった人もいる。それだけの年月が流れた。3か月半という期間は人生の中でいつ行けるものでもない。当たり前がなかなか戻らなかったのは船だけじゃない。

最近でこそマスクを外して歩く人もちらほら出てきたけど、こんな中で俺たちはいつの間にか茹で蛙になっていた。それは他ならぬ俺自身も一緒。普段やっていたことをやらなくなるとなんでも懐かしくなるし忘れていく。先日久々にいくつか行ったオンラインやオフラインの世界講座をやってみても鈍りを感じたし、いよいよかという懐かしさの中での楽しさも確かにあった。

諦めざるを得なかった人もいた中で、何が良かったのか、ここには書ききれないほどの葛藤もあるのもまた事実。たくさんの仲間も辞めていったりもした。それでも確実に諦めなかった人もまたしかり、それがこの奇跡に繋がったんだろう。

船を出し続けるということ

冒頭に載せていただいたのはアリモフ船長とうちの代表吉岡の横浜出航式の様子を大阪の留守番出勤中に中継で撮った写真だ。
これ自体がまさに奇跡なのは、彼氏自身、一年前にはウクライナのオデッサで戦争難民になっていたという事実だ。そこから毎日連絡をとり、ルーマニアにご家族で避難民生活を渡り歩いて戦場からこの船上まで帰ってきた。そんな感動を吉岡さんに神戸港で伝えたらまさか本人をキャプテンを呼んできてくれたものだから、少々慌ててお礼と喜びを伝えて握手を交わした。

逆に様々な理由で帰ってこれなかった人たちもまたいるのかもしれない。けれどそれ自体が当たり前じゃないセカイの中で続いている僕らの人生そのものなんだろう。

2020年まで当たり前のように三か月おきに地球を一周する船を出し続けてきていた。その分三か月おきに新しい出会いも風も新たに職場の中では循環していたがそれも止まり、それ以降は人員で言えばマイナスを辿るばかりの日々も続いた。自分自身、何度も今後の人生を迷った。けどそんなことも、全て吹き飛ぶのが出航なのである。続けてきた人らも辞めたやつらも一丸となって船を見上げて称え合う。そしてこの船がタイヨウのように西に向かって世界を存分に感じて東からこの港に帰ってくる帰航こそが僕らの活動の集大成なのだ。

最初のうちはあの船に乗っているダレデモが慣れることに必死になり、あっという間の時間を経て、自分らしい時間のつくり方を選べるようになる。何をするのもしないのも自由で自分次第。

自由というものの権利をどう生かして楽しむのか。結局のところ、自分=世界というところに行きつくようになってるのもまた平等に面白い。俺が思う船とはそんなところだ。だから一切の言い訳がきかない。だから面白い。

時には知りたくなかった世界の残酷さを知ることもあれば、何気ない一言で涙腺が崩壊することもある。出口のない迷路に入ることも、新たな価値観に触れることもすべてが自分が選ぶ以外何物でもない世界の輪郭を味わうことができる。

もちろんこれらは陸であるこの国でも充分に出来ること。
ただ見つけるのが人によっては少しだけ難しいだけ。
それが不思議と船ならすぐ手を伸ばせば、少し歩けば届くところにそれらがダレニデモあるというだけなのだ。ま、それも陸でも変わらねーか笑

懐かしさと新しさからくる始まり

そしてついにこの時が来た。
これまで次の船に向けて準備してきた仲間たちや兄弟分たち、そして敬愛すべきこれまで沢山のセカイを教えてくれた洋上ゲスト水先案内人のみなさんが我らの新しい船に次々と乗り込んでいく。

その様子を大阪の事務所から全国の電話番をしながらドキドキしながら見守る。激動の中南米を教えてくれた千尋さんが書き込んでくれた激熱のfacebookを読み高揚し、出航記者会見では中東専門家である和夫さんの愛ある希望的なスピーチに泣かされ、ルポライターの鎌田さんの出航式での魂こもったご挨拶に熱くなった。そしてちらほら見える同志の姿。これまでいろんな想いを越えて乗ってくれたパッセンジャーやクルーの方々。そして横浜港に見送りに来てくださっている新旧様々な仲間たち。船が出た瞬間に中継の電波が途切れたおかげで涙はお預け、翌日の我らが神戸港にバトンが渡される。

神戸港からご乗船される方々のご案内をはじめようとした頃、神戸港入り口の向こうに突如そこまでになかった建物がスライドしてくると思ったらそれはわれらのPasificWorld号だった。もう、見たこともない大きさ。
それもそのはず、これまでの船は平均で約35000tより倍以上も大きい77441t。これまで日本発着最大の飛鳥Ⅱ(5万t)をはるかに超えた大きさとはこういうことなのだ。

無事ご案内も済み、皆で初めての船に駆け寄り、懐かしい顔に肩を寄せ、港の冷たい風が容赦なく押し付ける中、出航の時を待つ。陸も船もみんないい顔をしているのである。まるで当然のように。けどこれこそが出航なのだ。そしてその想いも今回はひとしおである。

出航時間を幾分過ぎたころ、岸壁のロープが外れ、出航曲と共に爆音の歓声の中、初めて聞く汽笛を木霊しながら神戸の夜景にゆっくりと遠ざかっていく。陸も船も話したい事は山森だが、ここでは「いってらっしゃい」と「いってきます」だけでいいのだ。それで完結する。何回見てもこの離岸する瞬間は最高で、僕らのこれまでが一瞬で報われる瞬間であり、まさに次へのスタート記念なのだ。恒例の同僚との握手とハグにも想いがこもる。

ある程度声が届かなくなっても手を振り続け、落ち着いたところで次回以降に出発する人たちとの決起集会の為、三宮の居酒屋で終電まで祝杯を挙げてきた。どれもこれも懐かしくもうれしい恒例行事。

来月で船を出し続けて18年になる。お陰様としか言いようがない。新たな発見、尊敬すべき大人、知られざる世界、初めての挑戦、大好きなROCK FES、国境や人種問わず毎日行われるしゃべり場。今や俺のすべてが詰まってると言ってもいいほどの世界一リアルな空間。

時代が恐ろしいほど変わってきた中でようやくまた動き出した。
俺らだけでなく、本当にこれからがこの時代を生きる者たちの勝負なのである。ひとまず、重ね重ね、これまで出会ってきたすべての大好きな人も、苦手な人にも(苦笑)感謝の意を表してここに置いてきます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?