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「風の想いびと」


「風の想いびと」

 風は、神の子だ。

物心ついた時、煌(きら)めく波間を漂っていたから多分海で生まれた。

家族も仲間もいない。
いつも独りぼっちだ。

神の子は、他にも「地」「水」「火」「空」がいるが皆、姿が見えるのに自分だけ目に見えぬことを不足に感じていた。
「地」は喩えば花樹草に彩られ、「水」は場所や流れ方でその魅せ方を変える。「火」も折に触れ、花の形(なり)を借り夜空を美しく演出したり、「空」は雨上がりに虹の橋を架けたり、夕暮れを取り取りの色に染め、やがて夜の帳(とばり)には星々を纏(まと)う。
改めて見えないばかりか何の華やぎもない我が身を恨めしく思い、
「─みんなは、いいなあ─」そう呟くと虚しさが心の奥深くから迫り上げ、風は独り膝を抱えた。

その日、風は緑の繁る山を越えた。
やがて広い野原に出ると、伐採され残された大きな木の切り株に腰掛けた。
見上げる空は晴れ渡っていて、雲ひとつなかった。
「─今日は、雲さんもおやすみしてるんだ」そう言い息を吸い込みまた宙に舞いかけた時、目の端に紅い色を見つけた。

淡い紅の花びらたちを更に深い紅の花芯がまとめた可憐な華だった。
華の中に更に黄色の小さな華を咲かせている。
しばし呆然と見惚(みと)れていると、
「─可愛いだろ?百日草って言うんだよ」通りすがりの花蜂が、そう言って笑った。

風は華の真上を小さな旋(つむじ)を描いたり、わざと行ったり来たり、何とか気を引こうと工夫を凝らしたが、一向にこちらを向いてくれる気配もない。
優しく吹きつけても見たのだが、百日草はただ揺れるだけだった。
「そうか─僕が嫌いなんだね─そうだよね。僕は、見えないものね─」そう呟くと、風は落胆に肩を落とし項垂(うなだ)れた。
「─ごめんね。話しかけたりして─もう行くね」淋しげにそう言うと、百日草は身を大きく揺らした。舞い上がり掛けたその時、
「─違うよ。嫌ってるんじゃないよ。華はね、聲(こえ)を持たないんだ─」大きなお尻の尾を振りながらセキレイがちょこちょこ近づいて来て言った。
「─どうして?お話しできないの?─」風がそう訊くと、
「咲くことが華だからだよ」嘴(くちばし)を向け、短くそう応えた。風が小首を傾(かし)げると少しの間の後、
「─必要ないんだ。咲くだけで十分なんだ。見てごらんよ。こんなに美しい。華に聲はいらない。あるがままが、神様に与えられた全てなんだ。でもね、お話しはできる。心をじっと傾けると、気持ちが聞こえるんだ」そう応え、
「もう一度、話しかけてごらん」と促した。
「─ごめんね。知らなかったんだ。僕ね、君とお話ししたくて─」風がそう詫びると、百日草は小さく横に揺れながら華を震わせた。
「─え。あ、─今、ありがとうって言ってくれたの?─こちらこそ、ありがとう─」風はそう言い、セキレイに向かうと大きく頷いた。

『─また、来てね』百日草はそう言ってくれた。
舞いながら可憐な姿を思い出すと、胸がきゅん、とした。
切なさが一杯に心の奥深くから込み上げて来る。
不思議な初めての感覚だった。

『─見えなくても、君は風だよ。僕は鳥だし、百日草さんは華─。今、あるがままが全てなんだ。みんな、必ず何かしらの役割があってそれぞれの姿なんだよ─』セキレイの話は難しかったけれど、少しだけ理解できた気がした。
「─そうか。僕は、風だ」そう自身に確かめるように言葉にすると何だか胸を張れるようだった。

 その夜、夜空に打ち上げられる花火を見た。
「─役割、か。僕の役割は何なのだろう。─何が出来るのだろう─」ひゅうっと宙を切り上り、ばん!と何かの合図の様な大きな音と共に華やかに美しい色の火を闇に咲かせる様子を見上げ、遠くに聞こえる祭り囃子(ばやし)の笛の音を耳にしていると、また百日草の可憐な姿が目に浮かび、風はいつもよりちょっぴり幸せな気持ちで眠りについた。

その夜半から雨が降り出した。
朝方には太く長い河も水嵩(みずかさ)を増して来ていて、幾つかに分かれた支流は濁流になっていた。
「─だいじょうぶかなあ─」支流の下流に沿い舞いながら、雨に打たれ花びらを濡らしている百日草の様子を思い浮かべると気が気ではなかった。
徐々に雨脚が激しくなり雷鳴が聞こえると、風は思い切って踵(きびす)を返した。

大きな雨雫の間を縫うように野原に着くと、雨を受けすっかり項垂(うなだ)れてしまっている百日草を見つけた。
風は、手折れていた大きな里芋の葉を見つけると百日草の許(もと)に運んだ。
「─もう、だいじょうぶだよ。僕がこうして、支えているからね」葉を花びらの上に翳(かざ)し、そう声を掛けると百日草は嬉しげにその花びらを揺らした。

「─そうか。僕にも出来ることがあるんだ。君のために、出来ることが─」そう言うと、百日草はまるで繋ぐ様に風に向け、小さな葉を伸ばして来た。
「─うん。そうだね。僕は、風でよかった─。誰よりも早く、君の許に駆けつけられる」風がその葉に触れながらそう言った時、俄(にわ)かに雨脚が弱まり、
「─おうい。早く僕らを飛ばしておくれよう。お陽様と交代の時間なんだあ─」空高くでそう雨雲が呼んだ。

雨雲たちを送り戻ると、濡れた雫に差し始めた陽をきらきら返しながら、百日草が揺れていた。
今まで見た何よりも綺麗だった。
気づかずにいたが、花びらの周りにもリボンのような飾りをおめかししていた。
「─綺麗だ、ね─」舞い降り、そう言うと百日草ははにかんだ様に微かに華を俯けた。
「─君がそよげば、僕が見える。僕には、君の聲が聞こえる。─あのね─こうして─ずっと、寄り添っていて─いいかな─」訥々(とつとつ)と言葉を選びながら懸命にそう言うと、百日草はその花びらを一杯に開かせ凭(もた)れ掛かる様に風の中で、その華の全部を嬉しげに揺らした─。



「風の想いびと」
      
      ─了─


いま

髪が
靡(なび)いたから

風の
行方が見えた

笑みの
先の華が
きらきら揺れた

ねえ
百日咲くの

百日は
きっと
永遠(とわ)だよね

指切りは
しない

だって
決まりごとだもの

古(いにしえ)の
前から

こうして
寄り添うこと

君が
君でいる
限り

僕は
ずっと

すぐ
傍にいるよ─














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