結び湯葉
神饌物の「御飾り昆布」を買いに乾物問屋へ久しぶりに出かけた。
「おはようございまあす」
「おう、事務所入ってくれぇ、暑いけど」
暑い?意味がよく分からなかったが、中から声がしたのでドアを開けて事務所に入る。
確かに暑い。というか暑すぎる。見れば石油ファンヒーターがついている。どうりで暑いわけだ。
梅雨の早朝は肌寒い日もあるが、今朝はファンヒーターをつけるほどではない。
「大将、あついね」
「おう、湯葉かわかしとる」
なるほど。それでか。結ばれた湯葉がファンヒーターの前に並べられている。綺麗な黄色で、とても薄い湯葉だ。料亭や割烹用の上等なやつだ。
「でもこれって冬の仕事じゃないの?」
「何千も作っとったら、冬だけじゃ間にあわんわぁ、でも、有難いで、儲かる」
そう言う大将は確か70代後半くらいのはずだが、10年前からそう見えるし、もう歳がよく分からない。しかし、いつ見ても元気そうだ。乾物問屋だけに体に良い物を食べているのだろうと勝手な想像をしている。
白髪短髪にDaiwaのこれまた白いキャップがよく似合っている。
「これ一個一個結んで作るんだよね」
わざわざこの時季にさえ乾燥させているのだから、当前とは思ったが、一応聞いてみる。
「そやで。画用紙くらいの平湯葉を切るんや。そんで結んで二時間半かわかすんやで」
大将から見れば小僧に等しい私に親切に話してくれる。元来、大将は話好きなのだ。さらに聞いてみる。だんだん興味がわいてきた。
「何で切るの?」
「包丁や、見るか?ほれ」
二本の薄刃が出てきた。
「大阪の堺や」
派手さはないが、丁寧に使い込まれた包丁だ。大将の人となりが見える。
「それで昆布も削っとったんや」
「昆布って、おぼろ昆布のこと?」
「そや、北陸でむかし削っとったんや」
「テレビでなら見たことあるよ」
初耳だった。そんなこともあったのか。
「削れるようになるんは、二年もあればできる。でもそれで商売しよう思ったら十年、二十年はかかるわな。丸一日削って六千円やった。それ以上は、よう出せん言いよったわ、はははは」
それにしても十年、二十年とは何とも気の長い話だ。
聞いてもないのに、よく話してくれる。前にも、この昆布は何処の物かと尋ねたら、お手製の北海道の地図を持ち出してきて、羅臼はここ、日高はここ、利尻はここ、といった具合に産地を一通り説明してくれたことがあった。
さらに続く。
「おぼろは、手と肩と足の具合で削るんや。よう太もも切ったわ。機械もあったけど手で削ったやつは、やっぱ一番旨い」
「わしがその頃一番若い職人やったからなあ…」
少し遠い目をしている。そうなのかあと感慨に浸っていると、
「ちょっと、持ってけ。そこにくずあるやろ」
見ると綺麗に結ばれた湯葉が干されている脇に、切り出しが同様に干されている。
「ありがと、大将」
「おう」
切り出しもちゃんと捨てずに同じように干してある。やっぱり職人なんだなあと感心しつつ、一つ口に入れる。繊細な薄さと舌触りだ。とてもなめらかだ。味もいい。もどしたらさらに旨いのだろう。
「ありがと、大将。そろそろ行くね」
本来の目的の御飾り昆布を買って、おまけにお土産まで貰って店を後にした。危うく昆布を忘れるところだった。
御飾り昆布の代金250円で、とても素敵な時を過ごした。
大将が結んだ湯葉は今日もどこかの「椀」のなかで誰かの縁を結んでいる。
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