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借物
画家であれば何かしらの画材と、卓越した技術によって作品を造り上げるのだろうし、音楽家であれば音符や音階、リズム、また音色で美しい旋律を奏でるのだろう。
作家や物書きも選び抜かれた言葉を巧みに操り、色鮮やかに、時に幽幽と物語を紡ぐ。
優れた作品にはそれを創造した優れた芸術家が存在するのだろうが、趣味ならば、個人レベルならば臆することはない。
幸いにもこの国に於いて、それくらいの自由は保証されている、と思いたい。
そんな知識も技巧も持たぬ僕はひたすらに「借物」の言葉で幼子が木片を積み上げるように遊ぶ。
しかしながら、それはそれで楽しいものであり形として成り立たせてみたいと欲を出す。
もっと高く積みたいだとか、楽器を自由に弾きたいだとか、もう少しましな絵を描きたいと思うように、それは極々自然のことだ。
楽しみがあるというのは良い。
多少の苦労も歓迎する。
僕が思いつくようなことは、幾千万の人々が息をするように感じていることであるのだが、そんなことを言ってはあまりにも詮無い。
借物で積み上げるにせよ、そこから僕というものが少しばかり滲み出ればそれでいいと思うし、是非そうありたいものだ。
借りられるものがあるというのはこの上無く有難い。
そう、ひたすらに有難い。
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