なぜ社会学でなく人類学にワクワクするのか—若者は社会学ではなく人類学を目指せ—

2024年6月29日作成

【第2回界隈塾(7/21)のための口上】

1990年代に表現の意味論は認識論から存在論へ梶を切る。存在論的転回と言う。著作としては90年代前半のダン・スペルベル『表象は感染する』(原著1994年)と、ブリュノ・ラトゥル『虚構の「近代」』(原著1991年)が嚆矢となる。

1次近似で言えば、各々表象(文字記録)とモノ(加工品)の疫学的な増殖・変異・淘汰過程に注目。ヒトの役割を主体から媒介者に降格させ、ヒトの集合をシャーレの寒天培地とした、細菌のマクロ分布の変化として、表象やモノを観察した。

マクロ分布という物言いは空間的だが、時間スケールの相対化を含む。生体サイズによるスケールの違いを論じた本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』は、ヒトの技術をヒトとモノの時間スケールの絡み合いの帰結として相対化した。

ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論を講じる大学教員テレンス・マリックが1999年に監督した『シン・レッド・ライン』はこうした存在論的世界観をフィルム化した。動物の時間・植物の時間・原住民の時間・日本兵と米兵の時間の重層。

従来の反戦映画は「なぜヒトの命を大切だと思わないのか?」と問い掛け・批判するが、この映画は、複雑な分業連関と技術体系・を支える国家(という見えないもの)・に左右される、奇妙な言語ゲームとして戦争行為を描き出しただけだ。

「なぜそう思わないのか?」と突きつける認識論。「奇妙なゲームがあるだけ」と記述する存在論。存在論的転回を学生に示すべく過去四半世紀この映画を用いてきた。認識論が認識へのメタ認知だとすれば、存在論は認識論へのメタ認知だ。

過去からの集合的営みの累積ゆえにヒトには操縦不能なセッティング・によって設えられた壮大な茶番として言語ゲームを記述する2次的言語ゲームが存在論。集合的営為が作った表象がヒト以前からの所与として表れたものを社会的事実と呼ぶ。

人類学者モースを甥にもつ社会学者デュルケムならではの概念で、デュルケムからモースに影響した。[デュルケム→モース→…→スペルベル&ラトゥル]という流れにフランス的思考伝統の匂いを感じ取ることがここでは重要になる。

[モース→…→スペルベル&ラトゥル]の間(…)に晩期ハイデガーの技術論(総駆り立て論)が入る。その意味で90年代の「存在論的転回」は「第2次」のもので、30年代の「言語論的転回」と呼ばれてきたものこそ実は「第1次」の存在論的転回だ。

旧宮台ゼミではほぼ百年前からの存在論的転回の系譜を10年以上丁寧に跡づけてきた。そこで気付いたのは存在論的探求が学生らを解放し、力を失った学生らに力を与える事実だ。この治療的事実が過去三十年の存在論優位を説明する。

社会以前(法以前)を指す沸騰の概念で人類学に影響を与えたデュルケムだけではない。ウェーバーもカリスマの概念で社会以前(法以前)を考え、ジンメルも3人関係の概念で社会の始源を考えた。つまり社会学も存在論的だったのだ。

戦後社会学は米国を舞台に認識論化した。フェミニズムや文化研究やポスト植民地主義は共通に「構築主義」に拠ったが、イリッチの「存続しなければ存在しない」「存続可能性は千年オーダー」の批判通り、爆笑ものの過剰な認識論化だった。

「存在論的思考」は元々は社会学が起点で人類学に継承されたのに、今や社会学界隈は認識論過剰の「お笑い言語ゲーム」に頽落した。だから米英では90年代半ばから優秀な学生が来なくなり、米英社会学の一部がクソフェミ化しさえした。

社会学はどうでもいいが、存在論を手放したがゆえのヘボ社会学的な思考が今も蔓延している。そこから若い人々を解放せねばならない。旧宮台ゼミとゼミ生の重なりも多かった人類学者・奥野克巳先生に、その任を委ねることにした。

奥野先生はマレーシア地域のプナン族のフィールド調査を長くされ、界隈塾メンバーも参加している。僕らが想像したこともない驚きの言語ゲーム、然しかつては僕らもそれをしていただろう言語ゲームを、存分に紹介していただく。

奥野克巳先生の著作群

奥野克巳先生のプロジェクト「聞き流す人類学」での宮台発言

『シン・レッド・ライン』

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