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「生きづらさ」の先輩の話

「死んじまったらダメだぜカイ君。そんなんじゃ絶対浮かばれないよ」

そう言った彼は、その一年後に天国に行きました。

僕には色んな友達がいます。

上手く人生を生きてる人から生きづらい中なんとか生きてる人までホントに様々です。

僕自身があまり器用に生きれず、変な人生を歩んでいる中、そうやって色んな人が気にかけてくれるのですから幸せな話です。

冒頭の言葉をかけてくれた友達は大学の友達です。
学校の友人といえど、彼は30歳を越してから大学に入ったのでだいぶ歳上の友人でした。

大人になってから教養を身につけるために大学に入った、文学と音楽とタバコを愛する人でした。

Twitterには難解で文学的な詩が並び、カラオケに行けば雪の結晶の様に繊細な歌を歌っていました。

彼は僕とかなり良い勝負な「生きづらい人」でした。
調子が悪いと、授業に出席するのにウイスキーのボトルを飲み、酔っ払わないといけなかったほど。
そうでないと、感覚が麻痺した状態でないと、人がいる場所にいるのが辛かったのでしょう。

そういう僕も鏡に映った自分の姿が醜すぎて寝込んだり、バイトの面接に失敗しただけで死のうとしたり、中々な「生きづらさ」を抱えていました。

彼はそんな僕のことを心配しては度々声をかけてくれました。
2人で話してはあーでもないこーでもないと辛さを分かち合っていたような気がします。

「カイ君には誰よりも強い狂気を感じる」

なんてことも言われてた気がします。狂気ってなんやねん。
でも確かにアラサーになってまで変わったパフォーマンスでライブをしていたりするので間違ってないのかもしれません。

そして、冒頭の言葉。これは旅行中の彼が当時の僕の状況に心配してわざわざ電話をくれた時の言葉でした。

確か僕はその頃、毎日死ぬことを考えていたし、死ねないままただ惰性で続く人生を地獄のように考えていました。
そんな僕に向けて彼が言ってくれた精一杯の言葉でした。

その旅行が発病したガンの療養のための旅行と知ったのはそれからしばらく後の話でした。


ってなわけで彼と彼が遺した言葉は今でも胸中に鮮明に残っているのですが、
当時彼は「俺はあと5年で音楽のプロになれなかったら自殺する」なんてことも言っていたらしいので主張がなんともチグハグな気もします。

それでも、人が人生に絶望したまま死んでいくのは見過ごせなかったのでしょう。
そんな熱を感じる言葉でした。

それからしばらくの時を経て、未だにとても生きづらく、時には自棄になってしまうこともある僕ですが、死のうとする気持ちには歯止めが効くようになりました。

そんな時に僕は人が遺すものの意味を考えます。

彼の描く文学は本屋に並ばなかったし、TSUTAYAで顔を見ることもなかった。

でも、今でも彼の存在は僕の中で生きていて、その言葉が一人の人間を生かしている。

ありきたりかもしれないけど、それが人に何かを伝えていくことなのかなと思わずにはいられません。

「死にたい」という絶望に溺れながら、同じ様な人間には「生きろ」と言う。

たとえそれがエゴから来る言葉だとしても、

「ただ生きることがどれだけ尊いことか」

それだけの想い、言葉、気づきが僕には伝わり、広がっていきました。

だから僕は社会の「望ましさ」からズレたとしても、図太く生きようと思い今を歩んでいくことが出来ています。

僕には色んな友達がいます。

順調な出世コースを進む人から、血反吐を吐きながら生きてる人まで、
皆んな僕にたくさんのものを与えてくれるので今日も僕は生き残っています。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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