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捨てられない男が捨てられた話

「先生!あの子のお道具箱が飛び出してます!!」

「どういう神経してたらこんな汚ねえ部屋に住めるんだ!!」

大体その様なことを言われてこれまでの人生を過ごしていました。
整理だとか断捨離だとか、ムチャクチャ苦手です。

ですが、最近部屋の整理と一部の漫画やゲームを売りに出すことが出来たので、なんでそう出来たかを書き残しておきます。

そもそも何故捨てられないのか

捨てられない人が捨てられない一番の理由は、

「全てに意味を見出してしまうから」

これに尽きます。

昔読んで放置してる漫画は、
「いつか懐かしんで読める日が来るかもしれないから」

読んではみたものの難解すぎて積んでる学術書は、
「いつか時間が出来た時に読み込むから」

懐かしのゲームは、
「いつかこれが好きな同士で集まってワイワイ遊ぶから」

友達から誕生日にノリでもらったパーティーグッズは、
「いつかこれを見て思い出に浸るから」

夢想家の傾向がある人ほど、こうなるのではないでしょうか。
全てのものが、思い出と愛着と可能性に溢れています。

「捨てられる人」と「捨てられない人」のズレはこういったところから起きていると僕は思います。

友人が教えてくれたこと

ある日、一緒にご飯に行った友人が教えてくれたことがあります。
その子は人間関係の大きな断捨離をしてから生活が変わったと話していました。

「やっぱり幸せって、なにかを捨てて出来たスペースに入り込んでくるものなんだよ」

言われた側からなにかを掴んだ訳じゃありませんが、その言葉を反芻することで、分かってきたことがあります。

人にはキャパがある

このキャパという言葉は普段どちらかというと、仕事の要領や精神の耐久性みたいなニュアンスで使われますが、ここでは単純に「その人が一度に持っていられる物事の容量」みたいな意味です。

全ての物事に意味があるとしても、一度に持っていられるものには限りがある。

全ての物事に可能性が秘められているとしても、持っているものが多過ぎたらその可能性を活かすことなく持ち腐れさせることになる。

おまけに捨てられない人は基本的に幸せをものを増やすことで得ようとする。

でも実際のところそれは、
手持ちの可能性や意味をさらに薄めていることになる。

足るを知れ、とか
今ある場所に価値を見出すのが勝ち、とか

そんな説教くさいことを言いたいわけではないです。

あなたのキャパも有限なのだから、
手に持っていられる可能性や意味には限りがあるんです。

結局どうして捨てられた?

どうしても説明をしようとすると説教臭くなって嫌なのですが、つまるところ僕は

「モノを減らして出来たスキマに次の幸せが入り込む」

と思って部屋を掃除して、古本屋に駆け込んだ訳です。
高い意識によるものではなく、むしろ乞食的とも言える様な卑しい動機です。

Amazonで新しいものをポチるよりは確かに手間ですが、金がかからず幸せが得られると思うと結構お得かも知れません。

ここまで読んでくれたあなたも片付けが苦手な人かも知れません。
ここは一つ新しい幸せのためにものを減らしてはいかがでしょうか

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