見出し画像

「一番大事」を大事にしてる?

僕は人を楽しませたり笑わせたりしている時が一番楽しいです。

皆さんにもそういう「一番大事」なことがあると思います。
僕は歌を歌いますが、なにもそういう芸事に限った話じゃないので考えてみて欲しいのです。

「出来る限りしんどい思いをせずのんびり生きる」

「脳みそがとろけるようなギャンブルに挑戦する」

「家族の幸せを守る」

なんでも良いと思います。
重要なのはそれ持つことと、生活がそれにふさわしい形になっているかだと思います。
小難しく言えば最適化ですね。

僕の「人を笑顔にしたい」というお題目、それに相応しい生活ってなんなんだろうなってふと思ったので戒めを込めて書いとこうと思います。

ブツリとトンだ

最近わりと調子が良かったのですが、熱暴走するかの如く身体が言うことを聞かなくなりました。
もうブツっと電源がイキました。

冷静に思い返すと予兆がなかったわけじゃなく、親しい友人に
「頑張ってるのは分かるけど、なんか無理してるように見える」とバッチリ言われてました。
それさえも「生活を変えようとしてるのだから当たり前だ」ぐらいには思ってたんですが、やっぱり無理はするもんじゃないと思います。

こういう時のなにが辛いかって歌を歌おうとすると胃痛がすることです。
「あれ、僕歌が好きなんだよね?」ってなるくらいのブレーキがかかります。
こうなると羽をもがれたトンボの気分です。

「流石にまずい」となんとかしようと考えを巡らせるのですが、浮かんでくるのは

「やはり環境の問題か…」

「なにが信じるに値する答えなんだ〜?」

「どいつもこいつも分かっちゃいないっての!!」

みたいな、おおよそ人間が抱ける中でもかなりみっともない部類の思考ばかりです。

大体のことは自身の過去の選択と現在までの行動にしか原因はないのですから、これほど不毛なことはありません。

ブラックアウトが気づかせてくれたもの

ってなわけで数日間「なにもしない」ガチ勢になっていました。
「食べる」と「寝る」以外のことをしようとすると身体が「死ぬよ?」といつもより強い語調で言ってくるもんですので。

そうしてただひたすらに休んでても問題が解決するわけではありませんが、ちょっと考える余裕が出てきます。
そこでようやく、

「そもそも人を笑顔にする人がこんなこと考えるものなのか?」

本当だったら「どうやったらもっと楽しいことが出来るかな」ってことに考える時間を充てているはずなのではないかな?

って思ったわけです。

それこそが僕なりの「一番大事」に相応しい生活なんじゃないかなと。

どこまでいっても変わらぬ性

人間はどこまでいっても望むものにしかならない
というのがこの一年で学んだ一番のことでした。

でも、僕は進む道に慎重になり過ぎるあまり、その学びをすっぽり見落として望ましい形で自分を縛りつけていました。

「(社会的に)◯◯を勉強してるとより望ましい」

「前に進むために××の交友関係はない方が望ましい」

「歌は△△である方が望ましい」

「自分の気持ちが伴わない望ましい」はとかく息苦しい。
上手くいかなかった時に、他人のクソまみれの尻を拭う気分で後始末をすることになります。

僕が周囲を責める調子でオーバーヒートしていたのはまさにそういうことなのでしょう。

ふかーく反省です。

望ましいってそもそもなんね?

「望ましい」っていうのは社会や人々に対する「申し開き」のようなものだと思います。
いわば「ちゃんと皆んなと折り合いはつけてるからいじめないでね」というサインです。

それを否定するとこの世は世紀末になっているでしょうからそうはしません。
ですが、「それがアナタの望む姿なのか」っていうのは、僕も貴方も考え続けなければならないと思います。


アナタの「一番大事」ってなんですか。

今の生活はそれに相応しいでしょうか。


良かったらこちらも読んでってほしいのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?