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「死にたい」を我慢する人達へ

「死にたい」だけは言わないようにしてるんだけど…

そんな前置きから辛い心情を吐露する人達の話を聞くことが時々あります。

「たとえ精神的にやられているとしても、「死にたい」のようなメンヘラを匂わす言葉は使いたくない

命は大切なもので、それを投げ出すようなことはたとえ言葉だとしても表に出すべきではない

そんな各々の信念を感じます。
もしかしたら読んでくれてる人の中にもそういう風に思われている方がいるかも知れません。

僕はそう言われた時にはこう返すようにしてます。

「別に死にたくてもいいんだよ」

「死にたい」は「38度の熱」

そもそもが「死にたいとか言っちゃダメだ」と思う真面目な方が「死にたい」と思うこと自体が非常時です。

それ以上でも以下でもありません。


……と、書いて締め括れる程シンプルでないから心の問題は厄介です。

心の問題はそれだけ繊細なものです。
ですが、それに任せて話を壮大にし過ぎるとどんどん面倒になるのも事実です。

僕は「死にたい」という言葉が脳裏によぎったらこう思うようにしてます。

「そっか、「死にたい」と思うほどキツいか。こりゃ38度の熱だな!!」

そして無駄な抵抗はやめて素直に布団に入ります。

「死にたい」→「危険だ」→「休む」

みたいに生じたエラーに対する反応をシンプルにしてるわけです。

「死にたい」→「なぜだ?」→「何もかも上手くいかないからだ!」→「なにが上手くいかない!?」→「たとえば…」

なんて負の連想ゲームをし始めたら墓場まで超特急です。
でも、「死にたい」という感情を悪者にしたらそうしちゃいますよね。

38度の熱が出てるのに、自分の生活の見直しをその体調のままさせてるようなもんですからセルフブラック企業も良いところです。

真面目に寛容を

「死にたい」を我慢する人にクズがいた覚えがありません。
皆んな真面目で命に対する想いがあり、安易にその言葉を口にする事で周囲に与える呪いの意味を理解している人ばかりでした。
だからこそ、仮にそういった事を考えてしまったとしても、そんなご自身を許してあげて欲しいなと思います。

「一切のエラーを起こさない」というのは人間には無理があることです。
大事なことは、それを許せる寛容さを持つことだと思います。

こんな記事をここまで読まれてるということはなにか思い当たる節があるのでしょうし、今日は無理をしないで自分を甘やかして過ごして欲しいなと僕は思います。

色々ありますが、お互い生き抜いていきましょう\( 'ω')/


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