# 設計する

想いを形にすること、一言で置き換えるとしたら僕はこうする。

頭の中に何かしらイメージはあると。それを具体化させた形で紙面、あるいはPCの画面上に起こして、相手に伝えられる状態にする。

研究するということは、設計することから始まると僕は考える。どんな研究でも、はじめはアイデアベースで始まっていくだろう(このアイデアは、その研究者がこれまで蓄積した知見をもとに構築されている前提を踏まえるならば、ただのアイデアではなく、一種の根拠を伴った仮説と言える。とはいえ、ゼロベースのアイデアであってもいいと思う)。そのアイデアを具体化させて、そして実現性を検証するための手法を検討する。科学的なデータを議論し、アイデアの実証を行い、はじめにアイデアとしてあった抽象的なものは科学的に実証された現象となって世の中に残っていく。

研究とは、この繰り返しの中で成り立っている。我々新米研究者は、幾千の研究者が積み上げてきた知見をお借りし、巨人の肩に乗り上げてさらにまた巨人の肩の上に積み上げていく。

設計する。それはこれから人生を生きていく上で誰しもに必要な能力のようにも思える。

自分の”あれやりたい”、”これやりたい”を形にするということは、まさしく設計することに他ならない。そして何かを設計しようと思ったときに必要なことは、何か他の分野での”設計する”経験であろう。

設計する際には、他の多くのことを要する。前回述べた掘り下げることもそのうちの一つかもしれない。

そもそも、”あれやりたい”と思って行動した真の経験ってどれだけ得られたのだろう、と自分のこれまでを振り返る。勿論その都度誰かに何かを言われてきたわけではないけど、知らない間に与えられる外圧に気づいたら行動を制限されていた、ということは往々にしてあると僕は思っている。

出る杭は打たれる環境の中で、真に設計する力は身に着かない。大学院は設計する力を養う場所であり、博士という学位は一定以上の能力を示すためにある場所、と僕は思う。

それを証明するためにはまだまだ努力が足りないなぁ、頑張らないとな、と思う日々であります。

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